公の場での称賛は、良いリーダーシップに見える。誰かが優れた仕事をし、リーダーがチームの前でそれを認める。意図は前向きだ。努力に報い、何が重要かを示し、自身の存在や貢献が「認められている」という承認欲求を満たす。過小評価されていると感じやすい職場では、それは大きな力を持つ。
しかし、称賛は決して一人だけに届くものではない。同じ場にいる他の全員がそれを耳にする。ここから、公開の評価は複雑になる。ある社員を肯定するつもりの一言が、他の人に静かに比較を生むことがある。誰の名前が挙がるのか。誰が見落とされるのか。どんな仕事が称えられるのか。どんな貢献が見えないまま残るのか。
問題は称賛そのものではない。問題は、公の場での称賛が成果をねぎらう以上の作用を持つことだ。称賛は地位を定義する。そして評価が地位を定義し始めた瞬間、当事者たちはまったく異なる受け止め方をし始める。
公開の称賛が中立ではない理由
リーダーは称賛を、単純な励ましの行為だと捉えがちだ。誰かがうまくやったから認める。しかしチームの内部では、評価は価値に関するメッセージにもなる。どのような行動が評価されるのか、どのような貢献が重視されるのか、どの従業員が成功に貢献しているかを、チームに伝えることになる。
つまり公の場での称賛は、チームの社会的秩序を形づくる可能性がある。同じ人たちが繰り返し認められれば、彼らは「卓越性」の象徴として目立つ存在になる。他方、静かに貢献しているのに名前が挙がりにくい人は、たとえ不可欠な仕事であっても、自分の仕事が二の次にされていると感じられることがある。時間が経つにつれて、称賛は「誰が重要か」を示す地図になるのだ。
こうした反応を説明するうえで、心理学で言われる「社会的比較理論」(他者と自分を比較して自己を評価する心理傾向)を用いて説明できる。人は他者との比較によって、自分の立ち位置を評価する傾向がある。評価が公開されると、その比較は即座に行われる。従業員は「同僚がよくやった」と聞くだけではない。「ここではこういうことが注目される。そして自分はその中に含まれていない」と聞き取ってしまうことがある。
これは、決して人を貶めているわけではない。むしろ、人間として自然な反応である。職場は地位を測る場であり、評価は地位を分配する手段の一つだからだ。
評価が「勝者」と「見守る人」を生むとき
公の場での称賛は、意図せずチームを2つのグループに分けてしまうことがある。称えられる人々と、その称賛を見守る人々である。称賛された従業員は価値を感じるかもしれないが、他の人々は内心で公平性を計算し始める。「あの人は本当に他の従業員より多く貢献したのか?」「これはチーム全体の成果ではなかったのか?」「なぜ、ある貢献だけが認められ、他は無視されたのか?」などと。



