感染症の拡大や熊の出没は、なぜ起きるのか。宮田裕章は、その背景に人間と自然の「あわい」の変化を見る。ブラジルの大西洋岸森林と日本の里山を手がかりに、「景観免疫」という視点から、現代社会が失いつつある関係性を考える。
2026年5月、大西洋を航行するクルーズ船で、ハンタウイルス感染症の集団発生が確認された。アルゼンチン・ウシュアイアを発したMV Hondius号に関連し、検査確認された症例では、アンデスウイルス、すなわちアンデス型のハンタウイルスの感染が報告されている。ハンタウイルスは一般に、ネズミなどの排泄物を介して人に感染する。だがアンデスウイルスは例外で、濃厚な接触による人から人への感染が報告されてきた稀少な系統である。国際保健規則の枠組みのもと、各国は接触者追跡と隔離管理を進めている。
ニュースの多くは、感染力の評価や各国の対応、日本への影響に焦点を当てていた。だが本稿で書きたいのは、その手前の、もっと静かで根源的な問いである。
なぜいま、この感染症が、ここで起きたのか。
ここで誤解してはならないのは、本稿が今回のクルーズ船感染の直接原因をブラジルの森林破壊に求めるものではない、ということだ。私がブラジル大西洋岸森林の研究に目を向けるのは、ハンタウイルスのような感染症リスクを生み出す、より大きな土地利用と生態系の構造を考えるためである。
人間社会と野生動物の「間合い」
サンパウロ大学のパウラ・プリスト博士らは、2021年、「Science of the Total Environment」 誌に注目すべき論文を発表した。ブラジル大西洋岸森林を対象に、森林の劣化と回復が、ハンタウイルスを保有する齧歯類の個体数に与える影響を、緻密なモデル解析で定量化した研究である。ブラジルの自生植生保護法が定める水準まで森林を回復させた場合、ハンタウイルスを媒介する二種の齧歯類(Oligoryzomys nigripes と Necromys lasiurus)の個体数が大きく低下し、対象地域の約45%で感染リスクが低減する可能性が示された。推計上、その恩恵は約280万人の住民に及ぶ。
決定的に重要なのは、これら二種が「habitat generalist」── 環境の劣化に適応的な、いわば機会主義的な種であるという事実だ。森林が伐採され、農地と都市が侵入するにつれて、彼らは相対的に増えやすくなる。健全な森には、彼らを抑え込む天敵と多様性のバランスがある。劣化した景観には、それがない。つまり、感染症の発生は、ウイルスだけの問題ではない。森の状態、土地の使い方、人と野生動物の距離の問題でもあるのだ。



