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あわいの森が、私たちを守っていた──失われた里山と景観免疫 | 宮田裕章の辺境未来論 第9回

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「あわい」を再設計する

「辺境」とは、地理的な周縁ではない。文明の中心が見落としてきた、境界の知恵を保存している場所のことだ。日本列島の山あい、ラテンアメリカの森林辺縁、太平洋の島嶼 ── これらの土地は、近代化の論理が貫徹しなかった分、「あわい」を残している。

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そして、いま世界が必要としているのは、これらの辺境が暗黙知として持ってきた、境界の経営術である。

私が長年提唱してきた Better Co-being という考えは、突き詰めれば、最大多様の最大幸福を可能にする社会基盤の設計論である。多様な存在が共存するためには、明確な境界線ではなく、緩やかなグラデーション ── つまり「あわい」── が必要だ。森と街のあわい、生と死のあわい、自分と他者のあわい、人間と機械のあわい。これらを単純に分けるのではなく、響き合う緩衝帯(resonant zone)として設計し直すこと。

景観免疫は、その自然界における一つの実装である。人間社会と野生動物の間合いは、もう一つの実装である。里山は、その両方に同時に応答してきた、日本における歴史的実装である。

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クルーズ船のハンタウイルス感染と、日本の山に熊が降りてくるニュースは、別々の事件ではない。病原体や野生動物が、突然人間社会に侵入してきたのではない。人間社会の側が、森との距離を設計する力を失いつつあるのだ。それは、境界を失った世界が、自分自身に送っているシグナルである。Prist博士の研究は、森を法定水準まで戻すだけで約280万人にリスク低減が見込まれることを示した。Reaser、Plowrightらの理論は、この考えを世界の公衆衛生政策の中心に据えるべきだと訴えている。

森を、懐かしい風景として保存するのではなく、未来の公衆衛生インフラとして編み直す。

辺境からの未来は、効率の向こう側ではなく、あいだの再設計から始まる。辺境未来論が見つめるべき次のフロンティアは、都市の外側ではない。人間と自然のあわいにある。そして、それを最も自然に語れるのは、長い時間「あわいの作法」を生きてきた、この国であるかもしれない。

具体的に、どう編み直すのか。辺境からの設計図は、すでに各地で動き始めている。次稿でそれを示したい。

文=宮田裕章、編集=松崎美和子

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宮田裕章の「辺境」未来論 ──Resonant Regions

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