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あわいの森が、私たちを守っていた──失われた里山と景観免疫 | 宮田裕章の辺境未来論 第9回

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里山が支えていた景観免疫

2023年度、日本のクマによる人身被害は過去最多となった。いったん2024年度は落ち着いたものの、2025年度には、環境省の速報値で被害者238人、死者13人という深刻な水準に達した。これは一時的な「ドングリ不作」だけでは説明しきれない。背後には、人口減少、里山の放棄、農地や果樹の管理不全、狩猟者の高齢化、そして山と町の境界が痩せていくという構造問題がある。

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熊が街に降りてくるのは、人間社会と野生動物の間にあった「間合い」が壊れたからなのだ。

日本人は長きにわたって、人間圏と野生圏のあわいに「里山」という第三の圏を維持してきた。薪炭林として周期的に伐採される雑木林、棚田の緩衝、神社の鎮守の森。これらは生物多様性が高く、しかも人の手が入り続ける ── 開発でも放置でもない、絶妙な動的均衡として設計された景観だった。人の手が入り続ける明るい林縁や農地の管理が、野生動物を不用意に生活圏へ入り込みにくくしていた。互いの距離が、互いの安全を支える。これは静的な境界線ではない。季節と共に伸縮し、世代を超えて再調整され続ける、生きた間合いである。

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ところが、戦後の燃料転換、林業の衰退、農村の過疎化によって、里山は急速に放棄された。雑木林は薄暗い藪と化し、棚田は耕作放棄地となり、人と獣のあわいのグラデーションは消滅した。残ったのは、深い森と、深い街、その境界に広がる機能しない緩衝帯である。

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これは、ブラジルで起きていることと、深くつながる事象だ。森林の劣化が乱れた環境に強い齧歯類を増やし、ウイルスを人に近づける(景観免疫の崩壊)。里山の崩壊が、熊を市街地へ呼び込む(間合いの崩壊)。境界が痩せたとき、野生は人を訪ねてくる。

そして注目すべきは、欧米の保全科学が「Landscape immunity」「Ecological countermeasures」という言葉でいま定式化しつつあるものと、日本の里山が長い時間をかけて培ってきた知恵が、深いところで響き合っているという事実である。里山は、「景観免疫」と「人間社会と野生動物の間合い」の双方に応答する、世界でも稀有な実装だった。ひとつの空間設計が、二つの公衆衛生機能を担っていた。

近代という時代を、別の角度から検討してみたい。

近代化とは、効率のために、あいだを消すことだった。土地利用は単一目的化され、都市と農地と森林は厳密に区分された。職業は専門化し、知識は分野ごとに切り離された。労働と余暇、公と私、子どもと大人、生と死 ── あらゆる「あいだ」が、明確な境界線に置き換えられた。

その結果として、人類は劇的な生産性を手に入れた。しかし同時に、見えない代償も支払ってきた。

感染症の頻発は、その代償の一つの表れに過ぎない。世界の新興感染症の約75%が、動物由来である。土地利用の変化、すなわち境界の単純化が、これらのスピルオーバーを加速させている。気候変動、生物多様性の喪失、メンタルヘルス危機、孤独の蔓延 ── これらはすべて、「あいだ」を失った社会が、後から請求書を受け取っている現象である。

辺境未来論として、ここから先を考えたい。

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文=宮田裕章、編集=松崎美和子

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宮田裕章の「辺境」未来論 ──Resonant Regions

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