価値は「基準」と「構造」で生まれる
養蚕は、熟練者の経験と勘によって支えられてきた。その担い手は減り続けているが、細尾はこう言い切る。「テクノロジーを入れるのは、決して省人化だけが目的ではありません。日本の養蚕の長い歴史のなかで積み重ねられてきたノウハウを、より高い精度で再現し、一気に進化させる。今の時代にしかできない工芸性を追求するためです」。
その先に見えているのは、新たな市場の創出だ。シルクは量産資材として評価され、生糸は国際市場で1kgあたり1万円前後。一方、カシミヤは品質や産地によって価格が大きく分かれ、ラグジュアリー領域では15万~20万円に達する。この差を生んでいるのは、素材そのものではなく、「価値の基準」が存在するかどうかだ。
今回のプロジェクトで扱う規模は、繭にして約10トン。日本では大きな数だが、世界の量産と比べれば点にすぎない。しかし、ラグジュアリー領域にはその1000倍ともいわれる桁違いの市場が広がっている。細尾が見据えているのは、その未開拓の領域で価値の基準そのものをつくり直すことだ。
「伝統をどう未来に実装するか。養蚕や織物、職人文化や暮らしの蓄積を、ノスタルジーで終わらせるのではなく、今マーケットをもつテクノロジーと接続していく必要がある」。その起点として、細尾は養蚕へとさかのぼる。長く続いてきた産業には、それだけ多くの人に価値をもたらしてきた理由がある。たとえ衰退しているように見えても、その価値自体が失われたわけではない。問題は、その価値が時代のなかで機能しなくなっている点にある。
「日本には1200年続いてきたラグジュアリーがあります。ただ、それは存在しているだけでは価値にならない。かかわる人たちがきちんと稼げる構造にすることが必要です。価値が生まれ続けるエコシステムそのものを自分たちで設計し直すことが、これからの経営には重要だと思っています」
ほそお・まさたか◎元禄元年(1688年)創業の西陣織の老舗・細尾家に生まれる。大学卒業後、音楽活動や大手ジュエリーメーカー勤務を経て2008年に入社。10年、世界初の150cm幅織機(写真上)を開発し、西陣織の技術を生かしたテキスタイルで海外ラグジュアリーブランドとの協業を推進、新市場を開拓。25年11月、国産シルクの生産構造を上流から再設計する「KYOTO SILK HUB」を立ち上げる。ソニーコンピュータサイエンス研究所代表取締役社長の北野宏明と協働し、テクノロジーを組み込んだ次世代の養蚕モデル構築に取り組む。


