放送作家・脚本家の小山薫堂が経営する会員制ビストロ「blank」に、開化堂六代目当主の八木隆裕さんが訪れました。スペシャル対談第23回(前編)。
小山薫堂(以下、小山):「開化堂」というお名前は、文明開化のころに創業されたからですか。
八木隆裕(以下、八木):ええ。創業は明治8(1875)年で、昨年150周年を迎えました。
小山:茶筒だけを作っているのは、日本全国で開化堂さんだけとか。そもそもの始まりは?
八木:イギリスからブリキが輸入されたことで、「山本開化堂」という店が始まったんです。でも山本さんの二代目は絵描き志望で、「画箋堂(がせんどう)」といういまも京都にある画材店を始めた。それで、山本開化堂に勤めていた八木音吉が事業を譲り受けてスタートしました。
小山:暖簾分けみたいな感じですか。
八木:そうですね。僕が小さいころは、画箋堂さんを「母屋」って呼んでいて。「ちょっと母屋行こうか」とか言って、画材を買わせてもらい、絵を描いたりしていましたね。
小山:茶筒だけで150年続くというのはすごいことだと思うのですが、ご自身はなぜここまで続いているとお考えですか。
八木:先日、父ともそんな話をしたんですけど、祖父が「ええもんだけつくっておけ」とよく言っていて。祖父の代は、機械製の茶筒が普及したり、戦争があったりして大変だったんですが、「手作りできちんとしたものを作る」ことを諦めなかった。
小山:意地とプライドですね。
八木:当時の京都には、お茶屋さんに自分の茶筒をもっていって、茶葉を入れてもらう「通い缶」という文化があったんです。祖父は面白い人で、お茶屋さんの店名の判子をタダでこしらえて、それを押印した特別な茶筒をもっていって営業したりとか。
小山:そうなると、あとはほかでもない開化堂さんの茶筒をずっとオーダーすることになりますもんね。賢いですね。
反復横跳びで未来へ進む
小山:開化堂さんの茶筒は、筒の本体に乗せた蓋が音もなくスウッと下に落ちていく。空気が自然に抜けてゆっくりと密閉される。すごく気持ちいいですよね。この素晴らしい技術は一子相伝なんですか?
八木:基本的には父が僕に感覚で教えるというか。滋賀県の「中川木工芸 比良工房」三代目中川周士さんの言葉を借りると、「手から手へ感覚が移っていく」感じです。
小山:設計図とかはない?
八木:ないですね。数値化されていない。「今日はちょっと硬かった」「今日はちょっと柔らかかった」という、その「ちょっと」の感覚を日々感じながら作っています。
小山:職人さんはいま何人ですか。
八木:父と僕を含め10人です。
小山:何工程ぐらいあるんですか。
八木:父は「細かく分けたら130ある」と言うてますけど(笑)。とにかくそれを一つひとつ覚えてもらって、だいたい10年で一通りできるようになります。いま全工程をできるのは3人くらいですね。



