25年10月、MonotaRO(モノタロウ)最大の物量拠点である猪名川ディストリビューションセンター(兵庫県)で田村咲耶は既視感を覚えていた。
同業大手のアスクルがサイバー攻撃を受けて出荷を停止したのは10月中旬だった。一部ユーザーが代替先としてモノタロウに殺到。出荷能力が足りず、オフィスの社員らも倉庫にかけつけた。
田村が決断すべきことも多かった。当日の出荷分の締め時間を何時間前倒しにするか。どの業務から人を何人倉庫支援にシフトさせられるか。毎朝8時に会議を開き、出荷状況を見ながら意思決定した。
自ら倉庫に入る日もあった。
「ピッキングを3日手伝いました。1日目は生産性が低いと言われましたが、現場にいかないと見えないものが、確実にある」
倉庫で手を動かしながらよみがえってきたのは、猪名川ディストリビューションセンター立ち上げ時の記憶だ。
「22年4月に引っ越してきたのですが、当初は大混乱。1階に入荷した商品が行方不明になって見つからないといったトラブルが頻発して、出荷遅れを引き起こしました。当時も現場に入って状況を把握し、毎朝会議を開いてその日やるべきことを決めていた。あのときと同じやり方で、今もやっているなと」
同業大手出荷停止の影響は26年1月に沈静化した。だが社内は通常運転に戻った安心感より、「危機を乗り越えた力でもっと上を目指そう」というムードが強く漂っているという。
「これまで機会ロスしていた商品やサイズがあることがわかった。ほかにも今回で気づいたことがたくさんあって、今現場からは次々に提案があがってきています」
田村がモノタロウの社長に就任したのは24年1月、41歳のときだ。900人超の組織を引っ張る若きリーダーは、リーダーシップをどうやって磨いてきたのか。
大学院卒業後、就職したのはボストン コンサルティング グループだ。フットワークが軽くて情報収集は得意だったが、それだけで評価されたのは1年目のみ。上司に「もっと考えて」と酷評されることが増え、アサインされる仕事が小粒に。最後は翻訳の仕事しか与えられなくなった。



