2. 些細な決断で固まってしまう
2つ目の特徴は感情的な要素は少ないものの、社会的にはもっと気まずいものかもしれない。それは客観的に見ればそれほど時間をかける必要のない決断に異常なほど長い時間を費やしてしまうことだ。どのシリーズものの番組を見るか、何度も行ったことのあるレストランで何を注文するか、メッセージに今返信するか、それとも後にするかといった決断をするのに時間がかかる。
この麻痺状態は周囲の人をいら立たせることが多く、時には本人も恥ずかしさを感じることすらある。それは知性というより機能不全のように映る。
実際には、心理学者が「最大化」と呼ぶ認知的な傾向が働いている。心理学者たちは、本能的に最善の選択肢を探す人と、ある程度の選択肢で満足する人との違いを指摘してきた。だが過去20年間で研究者たちは重要なことを発見した。最大化の代償だと思われていたものの多くが別の特性、つまり優柔不断さと完全に混同されていたのだ。
直近の研究では、最適な結果を求める傾向と心理的に行き詰まってしまう傾向は、一見似通っているように見えても実は同じでないことが示唆されている。この区別が重要なのは、考えすぎる知的な人という像が間違っていることが多いからだ。問題は、その人が選択肢を評価できないことではない。多くの場合、一度にあまりにも多くの選択肢を評価できてしまうことにある。
分析能力の高い人の頭の中では代替案が瞬時に生み出される。結果をシミュレーションし、将来後悔する可能性を予測し、さまざまな側面を同時に比較検討し、別の可能性が考えられる限り探し続ける。適切な状況ではまさにこれこそが優れた判断力を生み出す。
だが不適切な状況では、このメカニズムが無差別に働きすぎてしまう。キャリアの選択や複雑な問題の解決を改善できるプロセスが、動画配信サービスのメニューを眺めているときや、テキストメッセージに今すぐ返信すべきか10分後にすべきか迷っている時にも作動してしまうことがある。
最近の研究では、最大化は状況に応じて使い分けられる戦略というより、さまざまな領域に共通して現れる安定した意思決定スタイルとして機能することも示されている。人生の重要な決断で最大化する人は日常的な決断においても同様に最大化する傾向がある。認知プロセスは状況の重要度が変化したことを自動的に認識するわけではない。
したがって、知性との関連性は「賢い人は決断が苦手だ」という単純な話ではない。分析的な知性は複数の可能性を思い描き、性急な結論を避ける能力に大きく依存している。これらの能力は非常に有用だ。しかし多くの可能性を見いだせるという同じ認知的な強みは評価すべき選択肢で迷うことにもつながる。最大化する人は必ずしも決断力に欠けるわけではない。単にいつ分析を終えるべきか判断がつかないような分析手法に長けているだけなのかもしれない。
これら2つの特徴には共通する根本的な力学がある。それは、深く考えるようになっている頭脳が表面的な状況では容易にモードを切り替えられないということだ。外から見ると、それは不安定さや優柔不断さのように見えることがある。その人の中でもそのように感じられることが多い。しかし研究が示唆しているのは、もっと緻密なことが起きているということだ。それは欠点ではなく1つの特性だ。対処すべきかどうかを決める前に、正確に理解しておく価値があるものだ。


