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キャリア・教育

2026.07.08 15:15

「月500万円程度稼いでいた」。風俗嬢たちはなぜ性風俗産業で働きはじめたのか

Getty Images

でも、学校は途中でやめてしまいました。先輩の看護師が怖すぎましたね。実習記録を指導役の看護師に見せると、きつい言葉で詰められたり、無視されたりする。自分もそのように厳しく育てられたから、後輩にもそうしてやろう、という人が多かったのだと思いますが、「看護学生には人権がないんだな」「これ以上、ここで学ぶのは無理だ」と思って、やめました。

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専門学校にいた頃から、お金も貯まったので、自分で家を借りて住むようになりました。契約の名義はパパでしたが(笑)」

専門学校を中退した後、しばらくは友人とバンドをやっていたが、「まともな仕事に戻りたい」と考えて、キャバクラでも働き始めた。

「お酒は好きだったので、楽しく働いていました。キャバクラは、いかにお客さんと寝ないで関係をつなぐか、ということが大事なのですが、私はすぐにお客さんと寝てしまうタイプでした。寝た後も一応お店には来てくれるけれど、最大の目的を果たしてしまったので、もういいかな…と思われてしまうことが多かったのかもしれません。キャバクラでは二、三年働いて、その後は普通の飲食店で働いていました」

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夜の仕事は、AVの収入がメインになっていった。

「身バレはあまり気にならなかったですね。単体女優ではなく、企画女優として出演することが多かったので、あまり顔を出してはいなかったです。

当時は、月額で五百万円程度稼いでいました。AV業界がまだ潤っていた時代で、稼ぐことのできたタイミングだったのだと思います。単体よりも企画の方が、様々な仕事に出られるので、稼げる。地方にも行きました。デリヘルやソープに「DVDに出ている子が来るよ」という感じで箔をつけてもらい、短期間出勤することはありました。特定のお店に長期間在籍して、ガッツリ働くことは少なかったです。

月収五百万円の期間は、合計で五年くらい続いて、稼いだお金は、使い道もなかったので、ほぼ貯金していました。ブランドもホストも好きではなかったので」

仕事を続ける中で、大きな事件やトラブルに巻き込まれるようなことはなかったが、性感染症には悩まされた。

「性感染症は、クラミジア、淋病、梅毒など、たくさんもらいました。感染してしまった、いったん仕事を休んで治して、それからまた働いて…ということを繰り返していましたが、不妊の原因になる病気もあるので、今考えると恐ろしいですね」


坂爪 真吾(さかつめ・しんご)◎1981年新潟市生まれ。東京大学文学部卒。大学卒業後、障害者の性問題の解決に取り組む非営利組織・ホワイトハンズを設立。2015年、性風俗で働く女性のための無料生活・法律相談事業「風テラス」を開始。夜の世界で孤立・困窮している女性たちを、SNSでの情報発信やアウトリーチを通して弁護士とソーシャルワーカーの相談につなぐ仕組みを整備し、9年間で延べ1万人以上の女性に支援を届ける。

『風俗嬢のその後』(坂爪真吾著、ちくま新書)
風俗嬢のその後』(坂爪真吾著、ちくま新書)

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