ヒトの声は、独特な伝わり方をするだけではない
2022年に『PLOS Biology』で発表された研究では、聴覚を司る大脳皮質の一部である「聴覚野」に2つの領域があることが特定された。これらの「上側頭回」と「上側頭溝」は、音を処理するだけでなく、ヒトの声を、知覚的に区別されたカテゴリーとして扱うことに特化している。
この2つの領域は、声に対して、ほかの複雑な音に対する時と同じように反応するわけではない。声が聞こえてくるとそれを、特定の社会的意味を伴い、特別の注意を必要とするある種のシグナルとみなして反応するのだ。
驚くことにこのシステムは、私たちが生まれる前に動き始める。1980年に『Science』に掲載された画期的な研究では、胎児がまだ子宮内にいる時から母親の声を認識し、生後もすぐに、ほかの女性の声よりも、母親の声が持つ音響学的な特徴に優先的に反応することが示された。
つまり、声を認識する脳内の仕組みは、生まれて初めてゼロから習得するものではないのだ。調整済みの仕組みとして、脳にもともと備わっていて、声には個人差があることを理解している。人それぞれに永続する音響的な特徴があり、声ごとに違うフォルマントの声紋は、ほかの声と区別する価値があることを理解しているわけだ。
進化は単に、私たち一人一人に唯一無二の声を与えただけではない。生まれて初めて言葉を発する前から、「声はそれぞれ独特のものだ」と予期する脳を構築した。そして、訓練された聴覚システムは、たった一つの音節から、性別やおおよその年齢、体の大きさ、感情の状態、その人のアイデンティティを同時に抽出する。
声は、驚くほど密度の高い社会的データのパッケージを伝えている。そうなると、これらすべてに関する根源的な疑問が湧いてくる。つまり、「なぜなのか」という疑問だ。
進化生物学の世界でよくあるように、この疑問に対する答えは、集団生活における選択圧に行き着く。人間の発話を可能にする、解剖学的・神経学的な完全なメカニズムが、現在のヒトに備わったのは、10万年から5万年前のどこかの時点と推定されている。
そのタイミングは偶然ではなく、考古学者と人類学者が「行動的現代性(behavioral modernity)」と関連付ける時期と重なっている。行動的現代性とは、象徴的思考や、長距離間の交易が出現し、協調的に狩猟を行うようになり、意思疎通だけでなく、時間や距離を問わず個人を確実に認識するために必要な、入り組んだ社会的協調が生まれることを意味する。
流動的に変化する社会集団の中で生きる種、つまり、同盟を組み、評判を把握し、長期的な協力関係を構築する種は、たとえ発話者に背を向けていても、誰を相手にしているのかを知る必要がある。それぞれの声が唯一無二なのは、部分的には、そうした課題への解決策だ。つまり、簡単にはまねのできない、確実な声の特徴は、暗闇であろうが、曲がり角の先にいようが、混雑した部屋にいようが、伝わってくるのだ。


