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2026.06.01 13:15

大谷翔平効果を最大化 ドジャース副社長が明かした熱狂を強固な収益に変える共創戦略

ドジャース副社長セバスチャン・リバス氏

「我々はまだテクノロジーの活用法を模索している段階。ただ、すでに導入していて非常に好評なのが、ドジャースタジアムのレフトスタンド下にあるARスクリーンです。ダグアウトの座席に座ると、スクリーン上で選手が歩いてきて、あなたのすぐ隣に座るんです。動画を保存して友人に送ることもできます。これは大谷と契約して以来導入した素晴らしい取り組みです。大谷や山本、(佐々木)朗希だけでなく、誰でも隣に座ってほしい選手を2人選べるんです」

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ドジャースと日本を結ぶ歴史的遺産の継承

ドジャースが日本市場でこれほどまでに圧倒的なプレゼンスを誇るのは、単に所属選手が優秀だからだけではない。そこには、半世紀以上にわたって戦略的に紡がれてきた深い歴史が存在する。副社長は東京・虎ノ門で開催された日本公式ファンクラブ MVP会員限定イベントの壇上で、日本のファンに向けて自球団の隠された歴史を語りかけた。

「球団と日本との繋がりは、私たちがワールドシリーズで初優勝し、日本でプレーする機会を得た当時にまで遡ります」

ロサンゼルス移転前、当時のブルックリン・ドジャースは1955年、世界一に輝き、翌56年秋、日米野球のために来日し、19試合を行なっている。現存する球場として、楽天モバイル・パーク、静岡県草薙球場などはジャッキー・ロビンソンがプレーした当時から残されている。

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「多くの人は知りませんが、ジャッキー・ロビンソンがメジャーリーグのユニフォームを着て立った最後の打席は、実はここ日本だったのです。ジャッキーは私たちにとって非常に象徴的な存在です。彼がどれほど多くの人々に影響を与えたかを物語っています。日本で最後の打席に立つ人物として、彼以上にふさわしい人がいるでしょうか。そしてそれは、私たちが『ブルックリン・ドジャース』としてプレーした本当に最後の時でもありました」

さらに、球団移転時のエピソードも、日米の絆を象徴する重要な遺産として語り継がれている。

「その後、私たちはロサンゼルスに移転しました。そこで1960年代に鈴木惣太郎という有名なスポーツジャーナリストが石灯籠を贈ってくださり、それは現在もドジャースタジアムのトップデッキストアに置かれています。ですから、この場所は私たちにとって非常に特別なのです」

そして1995年、野茂英雄という不世出の才能の登場が、この関係を決定的なものにした。

「1960年代から『野茂マニア』の時代までにはさらに約30年かかりました。野茂がどれほど素晴らしい才能を持っていたか。私がこの繋がりについて話すのが好きなエピソードの一つは、彼が単なる『日本のファン』や『ドジャースタジアムのファン』という枠を超越していたということです。私の祖父は、野茂英雄のあまりの凄さに、彼のことを『ノモ・エル・フェノメノ(怪物・野茂)』と呼んでいたほどです。つまり、あらゆる文化圏に彼のファンがいたのです」

過去の歴史をリスペクトしながらも、ドジャースは決して立ち止まらない。最強の布陣をもって、新たな歴史を創り出そうとしている。

「それ以来、私たちには素晴らしいパイプラインができ、多くの素晴らしい選手たちがドジャースでプレーしてきました。しかしそれは過去のこと。そして今、私たちには大谷がいます。山本がいます。そして朗希がいます。ドジャース組織における3人の主要な選手です。1人は地球上で最高の選手の1人。もう1人はポストシーズンを圧倒し、絶対的なロックスターであり、組織にとって巨大な戦力となった選手。もう1人はワールドシリーズ快進撃の原動力となった才能ある選手です。今こそ、この関係の『次の章』であり、だからこそ私たちはここにいるのです」

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文=松永裕司

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