雇用流動化の時代、「転職」は、決して珍しいものではないが、かつて著者も、最初に勤めた会社を辞め、日本総合研究所の創設に参画するため、転職をした。
退職を申し出た筆者に対して、人事部長は、思いやりからの言葉と思うが、こう述べた。
「君、何で転職をするのか。ようやく管理職になって、これから楽ができるというのに…」
この言葉を聞いて、筆者は、その人事部長の気持ちは有り難いと思ったが、こう述べた。
「有り難うございます。私は、この会社で9年間、良い上司と仲間に恵まれ、成長させて頂いたと思います。ただ、私は、まだ30代です。もう一度、苦労をして成長したいと思うのです」
その言葉に対して、人事部長は、こう述べた。
「そうか…。しかし、シンクタンクをゼロから立ち上げるなんて、大変な苦労をするぞ…」
たしかに、その人事部長の言葉通り、転職してみれば、シンクタンクを新たに創設するのは、想像以上の挑戦であり、悪戦苦闘の日々、「大変な苦労」の日々であった。しかし、それは、職業人として、人間として、大きく成長できた「最高の苦労」の日々でもあった。振り返れば、筆者の今日あるのは、この「最高の苦労」をさせて頂いたからと思う。
ではなぜ、筆者は、このエピソードを語るのか。それは、いま、人生100年時代を迎え、多くの人々が、転職によって、第二、第三の人生を切り拓かなければならないからである。
そして、そのとき問われるのは、それまでの職業人生で、どれほど「良い苦労」をしてきたか、その苦労を通じて、どれほど職業人として、人間として「成長」してきたか、だからである。
しかし、残念ながら、筆者の前後の世代は、高度経済成長やバブルの好景気の時代を経てきた世代であり、好況期の「ゆるい組織」に依存して「楽をして」生きてきた人材が、決して少なくない。
それが、ハローワークに転職の相談に行った人材が、「あなたは何ができますか」と問われ、「部長の仕事ができます」と答えたという笑い話が語られる理由であり、実際、大企業で相応の役職は経験してきたものの、プロフェッショナルとしての強みや特技を持たない人材が、決して少なくない。
そして、こうした人材は、どれほど前職での立派な肩書の履歴書を持って行っても、相手がまともな人事部長や経営者であれば、転職の面接のとき、その能力を容易に見抜かれてしまう。



