この考え方は、プロフェッショナリズムの意味を狭めてしまう。人は、発言内容だけでなく、そこにどれだけ感情を添えてよいかまで調整するようになる。苛立ちは和らげねばならない。怒りは中立的な言葉に翻訳しなければならない。切迫感は受け入れやすい形に整えられなければならないのだ。
もちろん、感情のコントロールは重要だ。あらゆる懸念が怒声に変わるようでは、職場は機能しない。しかし、感情を調整することと感情を"漂白”(無力化)することは違う。なぜなら、感情にはしばしば情報が含まれているのだ。苛立ちは失敗の繰り返しを指し示すことがあり、不安は優先順位の不明瞭さを知らせることがある。怒りは越えてはならない一線が踏み越えられたことを明らかにする場合がある。
職場の雰囲気が急いで感情を取り除くとき、意味までいっしょに取り除いてしまうおそれがある。
正直さが罰せられてしまう仕組み
正直さが不快感を生むのは、組織にとって都合の良いストーリーを崩してしまうからだ。戦略が機能していない、締め切りが非現実的だ、クライアントとの関係が悪化している、チームが問題から目を背けている──そう告げることになる。建設的に言ったとしても、その場の感情的秩序を乱しうる。
だからこそ、正直な混乱よりも、落ち着いた回避のほうが評価しやすい場合がある。「大げさに反応しないでおこう」と言う人は、冷静に見える。「リスクを過小評価している」と言う人は、否定的に聞こえるかもしれない。だが後者のほうが、状況をより正確に見ている可能性もある。
やがて人は、このルールを学ぶ。正直でいてよい。ただし、その正直さが場を大きく乱さない限りにおいて、である。
なぜ意思決定を損なうのか
落ち着きが過剰に報われると、組織は「洗練された過小評価」に弱くなる。リーダーは平静に見えるが、迅速に現実に対応できない可能性がある。チームは成熟した雰囲気で問題を議論しているが、切迫感を欠くかもしれない。会議は円満に進みながら、重要なリスクは十分に対処されないまま残るおそれがある。
これは些細な問題ではない。戦略的失敗は多くの場合、不都合な情報が無視できるほど軟化されたところから始まる。懸念は「備忘録」になり、警告は「検討課題」になり、深刻な問題は「経過観察」になる。
感情のトーンはプロフェッショナルなままでも、意思決定の質は低下する。


