出井の凄みは、こうした世界標準の体験と日々日常的に会う人間、読書から得られる新たな知識とが常にパズルのように組み合わさり、新たな体験が加わると別のパズルの絵柄に組変わるように思考を絶えずし続けていることだ。
「出井さん、昨日と言ってること違うじゃないですか?」
出井の周辺ではこんな言葉がよく聞かれた。事実、出井は昨日話していた内容とまったくことなる意見を堂々と開陳することが日常的にあった。出井に慣れた人などは、
「きっと昨日、出井さんが刺激を受ける人に会ったんだろうな。きっと眠れなくなるような刺激的な本に出会ったんだろうな...」と出井の豹変ぶりを受け止めていた。
しかし、出井の思考方法に慣れない人たちはそれに戸惑い、どっちが出井の真意なのかと訝った。口さのない人たちは、出井の朝令暮改と呼んだが、そうではない。新しい知識、新しい体験はすぐさま取り入れられ、出井の中で新たなパズルに組変わる。出井にとって、それは知識や体験の「アップデート」だった。
筆者とただ一度の食事の時、出井はこんな言葉を漏らした。ちょうどある新聞社で出井の人生を振り返るような連載をしていた時だった。
「連載は後2回なんだけども、ソニー時代のこんな話を書こうと思っているんだよね」
こういって出井が話した内容は、どうも出井自身も消化しきれていないような内容だった。
「出井さん、それだったら、出井さんのビジネスマン時代の話こそ、今のビジネスマンを勇気づけ、可能性の扉を開くもんじゃないですか。そっちにした方がいいですよ」
出井はしばらく筆者の顔を見つめるや、やおらジャケットの内ポケットから携帯を取り出すと、「あのさ、後に2回ね、若いビジネスマンを励ます話にするから...。うん、うん、前のはボツね」。
出井の書き換えは素早いものだった。
出井は未来が読めた経営者と言われた。間違いなく、その能力には、絶え間ない努力で培われたものだったが、図抜けたものがあった。けれども、忘れてはいけないのは、そうした未来図が描けたとはいえ、それを実行に移す、その未来図に向けてジャンプするには自身の勇気が試される。その意味で、常にジャンプし続けた出井は、孤高の勇者だったような気がする。
最後に1つ。
度々言及するが、出井に誘われた食事の時のことだ。出井は席についた筆者にまるで宝物でも見せるかのように、1959年物のワインを見せた。筆者が1959年生まれであることを知っての出井ならではの心遣いだ。
だが…。筆者が20年前から酒を止めていると伝えた時に、「エッ」といったきり、少しだけ落胆したその表情が今も忘れられない。


