経済・社会

2026.05.28 11:15

出井伸之、最後の書を手掛けた著者が語る「その素顔」

写真提供:NEWS ポストセブン編集部

出井の思考のベクトルは常に外に向けられていた。出井の脳内のシナプスは常に次の接続場所を求め続けていた。

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それが出井をして、業界内のつながりから外に向けさせていた。求めて音楽家や学者と会いたがる経営者は皆無に等しい。ビジネスマン時代、技術者が絶対的な存在として君臨していたソニーで、40歳の時に、その技術者の牙城であった「デジタルオーディオ部長」の座に自ら文系の出井に手を挙げさせたのも冒険者、出井だったからだろう。公然と「出井部長」反対の動きが起き、社内は騒然となる。

「自分が社長になった時以上の大騒ぎだった」

出井はこう笑って振り返っていたが、面と向かって「部長にはなるな」と言われたその心中はどうだったか。しかし、出井は社内の反対を押し切り「デジタルオーディオ部長」に就任する。そこで出井が出会うのがCD(コンパクトディスク)がこの世からレコードを駆逐していく様だった。デジタル技術の破壊性、デジタルがアナログ技術を駆逐行く様子を出井は目を凝らして体験する。デジタル技術の凄まじさを体験した出井がその先に見つけだしたのがコンピューターだった。出井は文系出身者がおよそ交わることのない面々と交わり、彼らの描く未来に一緒に目を凝らす。アップルのスティーブ・ジョブズ、ソフトバンクの孫正義、アスキーの西和彦...、彼らが描く、彼らがコンピューターで変えようとしている未来に出井も共感し、そして自らの思考の器を広げていく。

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出井は常に考え続ける人だった。

ただ一度だけ、出井と食事をともにしたことがあった。出井は常に人に囲まれ、華やいだ雰囲気を身にまとった人だったが、その実、極めて人に対し慎重なところも持ち合わせていた。筆者が出井に、「出井さんの評伝を書きたい」と申し出た時だった。それはさり気なくセットされたが、出井が信を置く人たち数名との筆者の会食の場が2回持たれた。要は、児玉博という人物はどう見るか、どう評価するか、言わば「面通し」だった。こうした「関所」を乗り越えての会食だった。会食は実に和やかで、出井の話題の豊富さも相まって愉快なものだった。食事も終盤に差し掛かった頃、出井が何かを思いだしたような口調で言うのだった。

「あのね、これはコロナが終わってからの話なんだけどね」。

こう前置きすると、出井はコーヒーでも飲むような気軽さで、

「習近平に会おうと思ってるんだよね」

「エッ、習近平ですか?」

「そう、中国の習近平」

「会ってどうされるんですか?」

こう聞くと出井は言うのだった。

「いや、気候変動の話を彼としたいんだよ。中国が動けば気候変動にも大きな転機になると思うんだよね」

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文=児玉博

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