同族企業の多くは3代目に潰されるとよく言われる。だが、3代目のジム・パーデュー(77)は、創業100年を超える養鶏企業パーデュー・ファームズを10倍の規模へと成長させた。鶏肉にとどまらない「オールナチュラル」のプレミアム食肉に注力し、周囲に流されない経営を貫いたからだ。
1974年、25歳で養鶏の家業を離れた創業家の3代目
メリーランド州ベルリンにあるジム・パーデューの家は、チェサピーク湾の穏やかな入り江に面している。米国で最も有名な鶏肉ブランドを築いたパーデュー家の3代目であるジムは、そこでアサリを養殖している。毎年、約1000個を地元のカニ料理店に出荷し、残りは家族で味わう。このアサリ養殖場は、ジムがかつて家業を離れて自分の道を歩もうとした夢の名残でもある。彼は1974年、25歳のとき、成功していた家業の養鶏ビジネスを離れ、海産物の養殖に挑もうとした。
「自分の実力を評価されているのか、パーデュー家の人間だから持ち上げられているだけなのか、分からなかった」と、ジムは敷地内の納屋で語る。その建物には、同社の歴史を物語る記念品が飾られている。その中には、父フランクが出演した有名な広告もある。フランクは「柔らかいチキンを作るには、タフな男が必要だ」という決めぜりふで知られた。
養鶏業界の伝説的経営者だったフランクは、自身の父が1920年に始めたふ化場を、売上高10億ドル(約1600億円。1ドル=160円換算)の大手企業へと成長させ、1991年にジムへ経営を引き継いだ。ジムが家業に戻ったのは、そのわずか数年前のことだった。彼は、父フランクから「戻らないなら会社を売る」と迫られて復帰した。
「父は、そう簡単に人を信用する人ではなかった。それでも私のことは信用していた」とジムは語る。
3代目の35年で米国4位、売上高1.47兆円に拡大
2005年に84歳で亡くなったフランクは、今もパーデュー・ファームズに大きな存在感を残している。3代目のジムは初めて会長兼CEOに就いてからの35年間で、家族経営の同社を米国4位の鶏肉生産会社に押し上げた。パーデュー・ファームズの2025年の売上高は、92億ドル(約1.47兆円)に達した。
ジムの経営下で、同社は年間5億ポンド超の有機大豆油を生産する米国最大級の有機大豆油メーカーにもなった。年間20億ドル(約3200億円)超の穀物を扱う最大級の穀物取引会社としての地位も築いた。ジムは、ファミリービジネスにつきものの「3代目の呪い」も回避した。ファミリービジネスのうち4代目まで続く企業は10%以下とされるが、彼は同社の規模をほぼ10倍に拡大した。
「大事なのは、付加価値を高め、事業をより上位の領域へ引き上げることだ。今すぐ鶏の生産量を増やせばいい、という話ではない」とジムは語る。
パーデュー・ファームズは、父フランクが始めた戦略を引き継ぎ、垂直統合によって高付加価値商品に注力してきた。その結果、同社は米国最大級のオーガニック鶏肉生産会社となり、市場シェアは30%を超える。約200億ポンドの穀物を購入する、米国最大級の有機穀物購入企業でもある。
鶏肉以外の分野でも、同社はニマン・ランチとコールマンを傘下に持つことで、放牧肉の主要生産企業の1つとなっている。ニマンの再生型有機認証を受けた牛肉プログラムでは、牛が約4.25億平方メートルの土地で放牧されている。同社はこの面積を2028年までに約10.1億平方メートルへ広げる計画だ。



