縁故入社を嫌い、9カ月で家業を去った若き日のジム
ジム・パーデューが育った家は、祖父アーサーが建てた最初の鶏舎の向かいに建っていた。高校時代、姉妹は事務所で働き、ジムは設備の保守を担当した。その頃、父フランクはたびたびテレビ広告に登場し、パーデューの鶏肉を売り込んでいた。ジムは、ウェイクフォレスト大学で生物学を学んでいたとき、のちに妻となるジャンと出会った。卒業後、若い2人はメリーランド州に移り、ジムは養鶏場への助言を行う担当者として家業に加わった。彼は縁故採用の幹部候補として見られることに我慢できず、9カ月で退社した。
「とてもつらい話し合いを重ねた。だが当時の私には、自信がまったくなく、とてもあの会社で働き続けることはできないと分かっていた。まったく別の道に進むための決断だった」とジムは振り返る。
退社後の9年間で、ジムはシアトルのワシントン大学で海洋生物学の博士号を取得し、太平洋岸北西部のカキ養殖業者とともに働いた。教授になることも考え始めていた矢先、父フランクが最後通告を突きつけた。パーデューに戻らなければ、会社を売り払うというものだった。
「ファミリービジネスで得られる機会は、1度きりだ」とジムは振り返る。
研修生から再出発し1991年に経営を引き継ぐ
品質保証部門の初級研修生としてパーデューに戻ったジムは、すぐに生産部門や営業部門の職務を経験していった。1991年、鶏肉業界が年5%のペースで成長していた時期に、彼はパーデュー・ファームズの経営を引き継いだ。
ジムはまた、会社を象徴するテレビCMで、父フランクの後を継ぐという重い仕事を引き受けた。市場調査で、後継者が実際に事業に関わってさえいれば一般消費者は新しい広告塔として受け入れると分かったからだ。「フロリダのヨットの上で暮らしているようではだめだ。フランクと同じように、鶏の現場を見ていなければならない」とジムは説明する。
CEOに就任して最初の5年間で、ジムは売上高を2倍に増やし、20億ドル(約3200億円)超に拡大した。彼はこの成果が、社員に権限を与えた結果だと考えている。パーデューの経営を引き継いで最初に行ったことの1つは、幹部に「次に何をしたいのか」と尋ねることだった。そこでジムが気づいたのは、多くの幹部が現状に満足しきっていることだった。父フランクが採用してきたのは、優秀な「兵士」であって、優秀な「将軍」ではなかった。
ジムによるとその後、管理職の約30%が会社を去った。「それまでは、会社の戦略は父フランクの頭の中にあった」と彼は振り返る。残った幹部に対して、彼は消費者に目を向けることの重要性を説いた。これは単純な話だが、意外なほど忘れられやすい教訓だった。
「多くの人は、消費者のためではなく、会社にとって都合のいいやり方を考えるようになる。消費者を第一に考えるのは当然に見えるが、実際にはそう簡単ではない」とジムは語る。
2011年からオーガニック鶏肉や放牧肉の生産会社を買収
消費者の声に耳を傾けたことが、パーデュー・ファームズを全面的な抗生物質不使用へと向かわせた。この健康志向の食品戦略は、買収先にも広がっていった。2011年、同社は当時米国最大級のオーガニック鶏肉生産会社だったコールマンを買収した。その4年後、放牧豚肉・牛肉の生産会社ニマン・ランチを買収した。
「当社は、買収した会社をパーデュー流の事業に作り替えようとはしない。相手がこれまでやってきたことを続けてもらい、そこから我々が学べばいいという考え方だ」とジムは語る。


