ダイナーにネオンサイン、発展する街道文化
ルート66は自動車旅行を前提としたロードサイド経済を築き上げ、街道沿いにはモーテルやダイナー(大衆食堂)、店舗が続々とできた。どの町にもそれぞれ独自の個性と風情があり、今日の全米中の町やパーキングエリアにありがちな大企業の影はほとんど見られなかった。
言い換えれば、どの町にもひとつとして同じものはなかったのだ。みんな違っていた。今の幹線道路沿いによくあるチェーン店のレストランやホテルはどこにもなく、マクドナルドもバーガーキングもタコベルもサブウェイも、コンフォートスイーツやラ・キンタ・インといった大手ホテルチェーンも存在しなかった。
むしろ、昨今のドライブ休憩に求められるような「慣れ親しんだ雰囲気」よりも、独自性が売りだった。食堂も雑貨店もガソリンスタンドも個人経営で、通りがかったドライバーの目に留まりやすい工夫が為されていた。大きなネオンサイン、カラフルな壁や屋根、ドライブイン形式のダイナー、流行に敏感なガソリンスタンド、型破りで独創的なモーテルなどは、ルート66を彩る特徴として広く知られるようになり、旅行者を誘う魅力となっていった。
州間高速道路とゴーストタウン化
ルート66の衰退は、1950年代後半の高速道路網の拡張、特に1956年連邦補助高速道路法の制定をきっかけに始まった。州間高速道路40号線(I-40)など、大陸を東西に結ぶ自動車専用道路が整備されたことで、ルート66沿いの小さなコミュニティーを迂回する車の流れが生まれたのだ。
かつて絶え間なく訪れていた旅行者に依存していた街道沿いの町は、州間高速道路の整備からわずか数年で経済基盤を失った。ゴーストタウンと化した町もあれば、廃業したモーテルやガソリンスタンド、商店を街道沿いに残したまま、ごく小規模なコミュニティーとして生き残った町もある。
ルート66は1985年、1本の連邦高速道路としての指定を正式に解除され、廃線となった。


