白紙に自分の意見が書けるかどうか
大西氏は伊勢丹での採用においては、芸大出身者や宝塚出身者など、一芸に秀でた者の採用に積極的だった。
「日本人は人と同じことをしたり、マニュアル通りに動くことは得意ですよね。しかしさて自由にやっていいですよとなると、どうしてよいのか迷ってしまう人も多いのではないでしょうか。例えばまっさらな白い紙に自分の意見が書けるかどうか」
かつて日本では“型にはめる”教育が推奨されてきた歴史がある。統率を重んじ、集団での規律といったことに重きがおかれた。
「例えば勉強にも”国・算・理・社”といった呼び方にあるように、暗黙の序列といったものがありますよね。でも私は、その順番に必ずしもこだわる必要はないと思います。順序は関係なく、何か一つでも飛び抜けたものがあればOK。何も全てにおいて抜きん出る必要はないと思います」
また大西氏は、伊勢丹時代から一貫して日本の伝統工芸やアートの領域にも着目してきた。その理由のひとつとして「そこに感動があるから」というのが実に大西氏らしく感じた。
「結局私は人が好きで、人の心を動かすものに惹かれるようです。人の心を動かことのす素晴らしさ、それは芸術であっても接客でも同じことではないでしょうか。心が動く、それはつまり、人が実際に動くということです。私は今後も“感動”のある分野に、積極的に関わっていきたいと思っています」
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限られた時間でのインタビューではあったが、大西氏の口から何度も「人」「心」という言葉がくり返されたのが印象的だった。そして大西氏と対話を交わすうちに、実直で裏表のない、人間味あふれる方ということが初対面の私にも伝わってきた。
商売のみならず、人が生きていく上で大切なもの
本のタイトルにある『丹心』という言葉は、“まごころ”の意である。“まごころ”とはつまり、嘘偽りのない、ありのままの心のことだ。
「私は人を信じたい」大西氏はインタビュー中にそうも語った。その言葉の裏には言うまでもなく「人を信じるということの厳しさ」も経験として含まれているはずだ。
いつの時代においても、ありのままの心を保ったまま生きていくのは難しい。
しかし、商売のみならず、人が生きていく上で大切なものは果たして何であるのか。そんな当たり前のようで忘れていたことを『丹心』という本、あるいは大西氏のインタビューを通して改めて気付かされたように思う。
IT企業と百貨店──本質において共通するもの
大西氏が言うように、心は手に取ったり、目で見ることはできない。しかし、心は人から人へと伝わり、世代を超えて受け継がれていく。そして長い年月をかけ、ある一定の空気を醸成していく──例えば、伊勢丹新宿店に漂うあの空気のように。
『丹心』のあとがきで、著者である飛田健彦*1さんが記している言葉が、本稿の通奏低音であったように思えたので、最後に引用して締め括りたい。
“二代丹治は、思索型、理知的であって、学者肌という一面さえうかがえるが、結局は、困難に耐えぬく根っからの「商人」にほかならなかったといえる。一見、古めかしい「商道」なるものが、近代資本主義の精髄のような、百貨店経営のバックボーンとなっていることに注目して読んでいただければ幸いである”
この言葉を読んで、私がかつて勤めていたサイバーエージェントの社長、藤田晋氏の著書の記述を思い浮かべた。
「会社をはじめて17年になりますが、そのほとんどが耐える時間で埋まっているようなものです」*2
小売である百貨店と21世紀の情報産業であるインターネット企業。一見全く異なる業界だが、“経営をする”という本質においては全くもって変わりがないということに、ひとつの真実を見た気がする。
*1 1937年生まれの飛田健彦さんは、伊勢丹の歴史を肌で知る元社員でもある。奇遇にも題字を書いて頂いた今富正二郎さんと同い年生まれ。
*2 『運を支配する』桜井章一との共著 幻冬舎新書


