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2026.05.30 14:15

伊勢丹と『丹心』 百貨店創業者の人柄を表紙の題字で伝える

二代小菅丹治(1882-1961)。写真:『丹心 商いの夢を紡ぐ 伊勢丹二代小菅丹治の経営哲学』国書刊行会

二代小菅丹治(1882-1961)。写真:『丹心 商いの夢を紡ぐ 伊勢丹二代小菅丹治の経営哲学』国書刊行会

例えば疲れ果てた夕暮れ時、ふと何か美味しいものを食べたくなる。JR新宿駅で降りて、人でごった返す新宿通り、その日の出来事を思い出として両手に抱えてしばらく歩いたら、正面口から伊勢丹新宿店本館へと入る。少し左にそれてまっすぐ、香水売り場から化粧品売り場へといつもよりゆったりとした歩調で通り抜ける。

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ざわめきと残香を後ろに感じながら、地階への階段を降りていく。踊り場に出ると、さきほどまでの喧騒が嘘だったかのように静寂がおとずれる。

少し立ち止まって考える。伊勢丹新宿店には、ここにしかない空気がある。それはおそらく他の場所では感じたことのないものだ。この唯一無二の空気はいったいどうやって生まれてきているのだろう?

“伊勢丹百貨店創業者”の伝記本をデザイン

昨年、出版社より二代小菅丹治の伝記本のデザイン依頼を頂いた。二代はその名の通り、伊勢丹創業家二代目にあたる人物だ。初代が創業した呉服店を百貨店へと進化させたのは、二代小菅丹治の大きな功績の一つと言えるだろう。

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二代は、初代から「丹心(まごころ)」を不変の真理として受け継ぎ、伊勢丹百貨店を成功へと導いた。「丹心」は人へと伝わり、やがて「信用」となって返ってくる。二代は数々の苦難を乗り越えながら、そのことを肌で知るのだった。

いまや売り上げ日本一を誇る伊勢丹新宿店は、度重なる増築を経ながら、1933年の創業当時の面影を残す外観で今も営業を続けている。

『丹心 商いの夢を紡ぐ』と題された編集段階のゲラを一読して、私は二代小菅丹治という人はなんと実直で腹のすわった人物なのだろうと感じた。写真を見ても、最近ではあまり見かけない風貌と言ったらいいのだろうか、大抵のことには動じない、肝の据わったどっしりとした様子が窺える。

右写真は緑綬褒章を受章した際の二代小菅丹治(1952年)。受賞に際し「これは私個人の受章というよりも、むしろ伊勢丹としての受章である」と述べている。写真:『丹心 商いの夢を紡ぐ 伊勢丹二代小菅丹治の経営哲学』国書刊行会
右写真は緑綬褒章を受章した際の二代小菅丹治(1952年)。受賞に際し「これは私個人の受章というよりも、むしろ伊勢丹としての受章である」と述べている。写真:『丹心 商いの夢を紡ぐ 伊勢丹二代小菅丹治の経営哲学』国書刊行会

豪胆かつ緻密な人物像

「不景気な時に、人一倍苦労して儲けるのではなくては、本当の商人とはいえない」とは呉服店を営んだ初代が残した言葉であるが、その教え通りというべきか、二代は次々に襲いかかる逆境にもめげず、その度に這い上がっては困難を乗り越えていった。

第一次世界大戦後の恐慌、関東大震災、太平洋戦争を経て、二代小菅丹治は百貨店へと進化した伊勢丹の業績を着実に伸ばしていった。そして百貨店業界に遅れての参入であったにもかかわらず、1960年1月には競合他社を抑え、伊勢丹はついに月間売上高日本一を記録したのである。

その豪胆かつ緻密な手腕から、二代小菅丹治は300年の大業を50年で成し遂げた経営者とも評される。

人柄を表紙でどう伝えるか

装丁という仕事は、それぞれの本(原稿)が持つ固有の特性を見極めることが必要だ。人と同じように、本にも人格がある。

二代小菅丹治の人柄を表紙で伝えるにはどうしたらよいだろう? 下手な細工はかえって濁りとなる。タイトルの“丹心”という文字そのもので、二代の人柄を伝えることが出来ればよいのだが──。品格を感じさせつつも、洗練されすぎているのもどこか違う。農家出身らしい力強さと 、本文中のエピソードから垣間見えるような人間的な温かみも欲しい。そうすると既存のフォントでは難しいかもしれない。
*二代小菅丹治はその才覚を見込まれて、小菅家の婿養子となった。

そんなときふと頭に浮かんだのが、門司港の看板職人である今富正二郎さんの手書き文字だった。地元在住のライター岡島佐和さんのSNSでその存在を知り、かつて旅先で仕事場に入らせてもらったことがあった。そのときの光景と、受けた衝撃は今もって忘れられない。

今富正二郎さんの仕事場の壁一面には、隙間なく書が掲げられていた。それぞれの額には、見えているものだけではなく、数枚の書が入っている。
今富正二郎さんの仕事場の壁一面には、隙間なく書が掲げられていた。それぞれの額には、見えているものだけではなく、数枚の書が入っている。

仕事場の左右壁一面には、正二郎さんが感銘を受けた言葉を書にしたためた作品群が隙間なく掲げられており、その量と作品のたたずまいには圧倒された。旅先で何気なく扉を開けてみると、思いもよらない世界が拡がっていることがあるが、この瞬間もまさしくそうだった。

門司港の職人が書く“丹心”

1937年生まれの今富正二郎さんは、縁あって看板店で修行したのち、北九州市の門司港という街に人生の錨を下ろした。そして生涯にわたって、日々変わりゆく街と語り合うように看板を描き続けた。

正二郎さんが仕事を始めた頃は、華やかだった頃の門司港をまだ充分に感じられる時代だった。かつて門司港は交通・貿易の要として一時代を築いたが、第二次世界大戦を挟んで、時代の移り変わりとともに徐々にその役割を終えていったのだった。

栄華の余韻とその先の未来、加えて港町らしい異国の香りを感じながら、正二郎さんは日がな看板を描き続けた。その仕事は、今でも門司港のあちこちで見かけることができる
*『魅力』椰子舎刊に正二郎さんの仕事はまとめられている

今富正二郎さん。独特の手書き文字で門司港という街を彩る
今富正二郎さん。独特の手書き文字で門司港という街を彩る。

正二郎さんが描く文字は、何よりも正二郎さんの人柄が文字そのものに宿っているのが魅力的だ。職人技という言葉だけでは言い表せない、誠実さと生きる力を秘めた魂の痕跡が感じられる文字であるように思う。そういった面でも、今回の本にはぴったりだった。

正二郎さんはご年齢もあり残念ながら今は閉業されてしまったが、今回は店を閉じる直前に運良くお仕事を依頼することができた。

私は装丁に限らず、自分の仕事は人と人を繋ぐこと、あるいは自分なりにいいなと感じているもの、大切なものを人に伝えることだと思っている。例えば今書いているこのコラムもそのひとつだ。

今回のデザインで自分なりに出来たこと、それは今富正二郎さんが職人として長年かけて育んできた“こころ”を、二代小菅丹治が生涯大切にした「丹心」というスピリットに繋ぐことができたということだ。

書き下ろして頂いた題字を軸に、装丁を仕上げた
書き下ろして頂いた題字を軸に、装丁を仕上げた。

生きた場所も職業も異なる二人は、一見なんの接点もないように思える。しかし、二人が生涯を通じ大切にしてきたものは、実はそう変わらないのではないだろうか? そんなことを、今回の制作を行いながら考えていた。

さて、今回のコラムはこれで終わるはずだった。しかしこの後思わぬ展開を呼ぶことになる。あることをきっかけとして、伊勢丹の元社長である大西洋氏にお会いすることになったのだ──。(次回記事へ続く)

文・写真=長井究衡 編集協力=久世和彦

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