本当の勝負はここから。国内市場だけでは予算に限界があるので、日本では調達が難しい資金を海外から集め、かつてない「コマ撮り」映画とその展開を実現したい──。そんな思いで、「海外で受けるなら何か」という逆算もしながら、考え、つくり上げられた作品だ。
本作では1班で「1日に2秒半」しかつくれないほど手間がかかる。それでも自社投資でIPをコントロールするのだと決め、クラウドファンディングを含め、これまで営業費も手弁当で3年間走り続けてきた。実は2025年時点で大手スタジオから満額オファーがあった。これでコマ撮り業界に革命を、と映画化を進めたが、M&Aや組織変更でその話はとん挫する。
それでもチームは資金面以外にもさまざまなチャレンジをし続けた。監督の主役「ドリームリスト」を元に、薄い縁をたどりながら、リスト1位にあった『マトリックス』の「キアヌ・リーブス」にパイロット映像を送った。
驚くべきことに、その映像美とオリジナリティに心を奪われたキアヌ本人からメッセージが届く。「やるよ、これは面白いね」と、まさにミラクルだった。もちろんそこから所属事務所との調整が始まる。トンデモナイ相場になるはずの出演費はインディーに支払えるはずもない。それでも本人の強い乗り気にも後押しされ、薄氷のうえを踏み歩くようなデリケートな交渉の末になんとか今回の発表にこぎつけた。そんな作品がカンヌ・アニメーション部門に選出されたのだ。
文化の頂点と資本の頂点が接合する唯一無二のイベント
なぜここまでしてカンヌを目指すのか。いわゆる「商業映画」で大ヒットを生み出すには大資本が入り、大規模に宣伝される必要がある。だがカンヌが提供しているのは「金ではどうにもならない文化的価値」である。宣伝費をいかに積んでも、豪奢なロビー活動をどれほど行おうと、カンヌの賞はとれない。
そこは『我々は宇宙人』や『HIDARI』のように、たった数名で世界を獲ろうという野心あるクリエイターの創作を、「文化映画」として世界に届かせることができるミラクルなステージなのだ。
12日間の会期中には20万人超が集まり、うち公式バッヂをもつ業界関係者が4万人、ジャーナリストだけでも4500人にのぼる。しかもそこには5階層(バッヂでメディアのランクが目視できる)ものランク分けがある。お目当てはジョン・トラボルタやデミ・ムーアなど映画界トップのセレブリティたちだ。
彼らとレッドカーペットを歩くガラ・プレミア(毎日コンペティション作品が選ばれ、視聴され、批評での星取表が出される)は業界関係者にしか入手できないプレミアチケット。タキシードと革靴とという「正装」でなければ、もれなく入口で入場を拒否されてしまう。セレブが泊まるCarltonの前には朝から晩まで物見客が集まる。1泊の値段は100万円はくだらず、しかも「最低保証」として7泊以上が必要になる。1階のカフェですら、1時間の滞在ごとに1人50ユーロを求められた。
文化の頂点には、同時に「持つもの」としての資本が自然と集まってくる。「持たざるもの」としての優れた創作者たちを引き上げ、非常に「非アメリカ的」な装置としてのカンヌ映画祭は、その洗練され、高級化され、選別と階層化を行った結果として資本主義を集約した側面も持つものだった。今ほどに、このグローバル市場に打って出る階段が、日本に近づいてきているチャンスのタイミングはないのだ。


