町中華の後でコーヒーが飲みたくなる理由
こうした町中華の世界観をわかりやすく解説してくれるのが、同隊の活動をもとに北尾さんが同じ年に上梓した『夕陽に赤い町中華』(集英社インターナショナル、2019年)という著書である。
同書には、町中華のルーツや時代的特徴を理解するうえで知っておくべき次の5つのポイントが挙げられている。以下は、同書の第一章「町中華はどこから来たのか もろびとこぞりて」の見出しのタイトルである。
1 人形町「大勝軒本店」に見る戦前からの流れ
2 地方から東京へ「下北沢丸長」に見る戦後の流れ
3 引揚者の参入で大陸の味が合流
4 日本人の食生活を変えたアメリカの小麦戦略
5 町中華の味を決定づけた“化調”の流行
すなわち、町中華のルーツとしては、まず戦前に中国から来た料理人を雇ったり、当人が始めたりして、今日まで残っている「戦前組」の系譜。そして、戦後に地方から上京してきた人たちによる「上京組」の系譜。それに加わるのが、戦後、中国大陸から引き揚げて来た人たちが始める「引揚者」の系譜の3つである。
これらの異なるルーツを持つ人たちの流れは、戦後に「やがてひとつになり、自己資金はあまりなくてもコツコツやれば開業できる、僕たちが町中華と呼ぶところの、なんでもありの中華屋」になっていく。
その立役者は「温かくて栄養がある」ラーメンの人気だった。そのラーメンを出す店の大量出店が可能となったのは、戦後の食糧難の時期のアメリカによる小麦の配給だったことは、前回書いたコラム「中国をルーツに持つ一族が始めたラーメンチェーン『揚州商人』の独創性とは!?」でも紹介したとおりである。
そして、町中華の味つけが、うまみ調味料の「味の素」に代表される、いわゆる「化調(化学調味料)」の強い影響で方向づけられた経緯についても、北尾さんは「町中華の後でコーヒーが飲みたくなる理由」という興味深い話から読み解いている。
要するに、町中華を食べると、化調による舌にピリピリをともなうシビレが起こるため、コーヒーで消し去りたくなるというのである。
こうした「戦後の混乱期、安くてパワーのある食べ物としてラーメンが人気となったことを契機に昭和の食文化のひとつ」となった町中華について、北尾さんは「特別じゃないけど大事なもの」と書いている。


