まず荻窪。「1980年代に『荻窪ラーメン』で有名」になったこの地は「昭和」が感じられる店がそこかしこにある「中華の街」だという。
ところが、駅前の再開発もあって、同書のイラストマップに記された掲載店のうち8店が閉店していた。残念に思ったのは、2021年に閉店したという「新京」なる、考えようによっては重い歴史を感じさせるネーミングの店だった(新京がかつて日本の支配した満洲国の首都の名称だと想定しての話である)。
次に浅草橋だが、「明治や大正時代に創業」した店が多いという。実際に訪ねてみると、1923年(大正12年)創業の「中華楼」という店があった。これまで町中華に関する理解の浅かった筆者は、その大半は戦後に現れたものだと思い込んでいたのだが、戦前から継承している店も少なくないのだ。
同書に紹介されている50軒の創業年をリスト化したところ、1877年(明治10年)創業の「ゑちごや」という文京区本郷にある超老舗店を筆頭に、1920年代が7軒、1930年代が3軒と11軒もの店が紹介されていたのである。
浅草橋の掲載店は、同隊が「来日系」と呼ぶ、いわゆる「ガチ中華系」オーナの店が2軒閉店していたものの、町中華はすべて営業を続けていた(ただし、周辺にガチ中華の店は12軒見つかっている。もはや町中華より多い)。
3つ目の堀切菖蒲園は初めて訪ねる町だった。ここも掲載店は、ほぼ残っていた。面白かったのは、同書に「ありし日の姿を外観に残す『遺跡中華』」とある、かなり前に閉店したものの建物だけ廃墟のようにそのまま残っている店舗の跡を見つけたことだ。
そのうちの1つが「中華パーラー 紅陽楼」という店だった。なんでも喫茶店や軽食店を意味する「パーラー」の要素と中華料理が融合した大衆向けの飲食店を意味するという、「中華パーラー」とはどういう店だったのか。筆者には想像つかないのだが、これも町中華の奥深い歴史を物語っている。
「チェーン店の台頭や店主の高齢化、食の好みの多様化でその姿が急速に減りつつある」(同書のプロローグより)町中華だが、これらの3つの町を訪ねて知ったのは、荻窪以外の都内東部の2つの町ではその多くが健在だったことである。
なにしろ同隊の活動は、コロナ禍をはさんだ約10年前のことなのだが、この2つの町には、戦前から継承される町中華がいまだにけっこうあるのだ。


