「ガチ中華は町中華とどこが違うのか――」
これは筆者がいろいろな方からよく聞かれる質問だ。
こういう問いに対して、どこから話を始めるとわかってもらえるだろうかと少々戸惑いつつ、「まったくの別モノなんですよ。なぜなら、ガチ中華というのは、ここ10年くらいに東京を中心に急増した、中華料理界における新興勢力で……」とまずは答えるのが常だった。
その後に、いつもの出現の経緯に関する説明(例えば当コラムの「豊島区や目黒区と同じ約30万人の中国の人たちが暮らす東京とガチ中華の正体」のように)をするのだが、とりわけ中高年以上の世代の人たちには、何の話をしているのかわかってもらえないこともいまだに多い。
こうしたことから、筆者は最近、日本の中華料理が今日に至るまでの時間をさかのぼって、これまでどんなことが起きていたのか、振り返ってみようと考えるようになった。
その歴史をたどることで、件のような人たちとの話の接点をどこかで見つけることができるのではないか。その意味で、町中華は広く一般の方に認知・共有されているジャンルだ。まずその世界に足を運んでみようと思い立ったのである。
「町中華探検隊」が歩いた都内3つのエリア
町中華といえば、ノンフィクション作家の北尾トロさんが隊長を務める「町中華探検隊」の活動が知られている。筆者は北尾さんとある雑誌の企画で一度お話したことがあるのだが、同隊の活動は月刊誌『散歩の達人』の連載をまとめた『町中華探検隊がゆく!』(町中華探検隊著、交通新聞社、2019年)に詳しい。同書は2015年9月から2018年12月にかけて、同隊の隊員5名が東京を中心とした個性的な町中華の名店を訪ね歩いた記録である。
そのなかに「町中華密集地帯を歩く」という章があり、都内の3つのエリアが紹介されている。それは荻窪(杉並区)、浅草橋(中央区)、堀切菖蒲園(葛飾区)だ。
町中華の全体像を十分につかんでいない新参者の筆者には、なぜその3エリアが選ばれているのかよくわからないのだが、とにかく訪ねてみることにした。



