40年前、動画配信に「確信」
学生時代、映画好きだった宇野は、毎日のように下宿から20分歩いて最寄りのレンタルビデオ店に通っていた。ところが、せっかく出向いていったのに目当ての新作が貸し出し中でがっかりすることがよくあった。借りたビデオテープを返すのがおっくうになって延滞料金を払ったことも一度や二度ではない。
時代は1980年代後半、VHSの全盛期だ。DVDすら登場していなかった時代に、常々感じていた「不便」「不満」が、あるひらめきをもたらした。「この重たくてかさばるパッケージはいつかなくなるんじゃないのか……?」。ひらめきを確信に変えたのは、科学雑誌で目にしたこんな実験だった。米国のとある大学で、一本の映画を電子データ化したうえで、伝送して映し出すことに成功したというのだ。閉じた実験室のなかでの話だったが、「いずれデータ化された映像を自宅で見られる時代が来る。そこに携わる仕事がしたい」。宇野はこのアイデアをノートにしたためた。
その時は、想定外の状況で訪れた。98年、急逝した父・元忠が創業した大阪有線放送社を継ぐことになったのだ。当時、自ら創業したインテリジェンスの上場を控えており、父の後を継ぐ気はさらさらなかった。だが、これまでUSENが無断で張り巡らせた有線放送網の正常化を実現できるのは「自分しかいない」と、2代目社長への就任を決意する。
約720万本もの電柱の使用契約を結び直し、約束通り正常化を成し遂げたのは2000年。この年は、IT革命の熱狂が日本中を包んでいた。藤田晋がサイバーエージェントを、堀江貴文がオン・ザ・エッヂ(後のライブドア)を、そして、三木谷浩史が楽天をそれぞれ株式公開した。宇野は翌01年、満を持して光ファイバーサービス「BROAD-GATE 01」を立ち上げた。「当時、孫(正義)さんがやっていた『Yahoo! BB』でADSLが爆発的に普及しました。でも私は、いずれインターネットで動画を見る時代が来ると予測していたので、動画を流せる高速大容量インターネットのインフラをつくりたいと思ったのです」。
宇野の経営哲学は、「地図を描く」ことだ。「未来への道、目的にたどり着くまでの地図をちゃんと描けることが大事です」。北海道から沖縄まで720万本の電柱の使用許可を得ていった正常化の道のり、全国に光ファイバーを張り巡らせるインターネット事業、そしてそのインフラを使った動画配信サービス、すべてが地図を描くことに通ずる。
最初の動画配信は光ファイバーサービス加入者への付帯サービスとして提供された。05年には、当時世界に先駆けて無料のブロードバンド放送「GyaO」を実現させた。だがここで、またも想定外の事態が起こる。リーマン・ショックに端を発する業績悪化でGyaOの売却を余儀なくされたのだ。その後、経営体制の見直しの一環として、宇野はUSENの社長を退くことになった。
宇野を不死鳥のようによみがえらせたのはU-NEXTだった。USENのひとつのサービスとして始まった動画配信の事業を分社独立し、社長に就いた。そこにはひとつの確信があった。「水は高いところから低いところへ流れる。人は便利なもの、快適なものを一度覚えたらもとには戻らない。動画配信サービスは人の生活を変えるインパクトがある」。
U-NEXTはわずか4年で東証マザーズに上場を果たし、17年にはUSENと経営統合、U-NEXT HOLDINGSが誕生した。サービスとしてのU-NEXTは、今や500万人超のユーザー数を誇る国内勢最大の動画配信サービスに成長した。
地図を描くには、時代の潮流を読む力と、修正を繰り返しながらも描き続ける忍耐力がいる。学生時代のアイデアノートは、起業家を夢見た青年に「地図を描く力」を与え、ビリオネアにまで引き揚げた。
Key Word 2|インテリジェンス
1989年、宇野康秀が25歳の時にリクルート時代の同僚らと創業した人材サービス企業。就職支援、人材派遣、転職支援などで売り上げを伸ばし、2000年に東証ジャスダックに上場。08年にUSENにより完全子会社化。その後売却され、現在はパーソルグループの中核企業パーソルキャリアとして
事業を展開している。Key Word 3|U-NEXT
2007年に開始した、日本における定額制動画配信サービスのパイオニア。映画、ドラマ、アニメだけでなくスポーツ、音楽などのライブ配信も行う。国内独占配信コンテンツなど豊富なラインナップに強みをもち、ユーザー数は515万人(2026年第2四半期決算時点)。国内シェアも首位のNetflix
に迫る勢いで拡大している。


