「激しく震えていたのを覚えている。息ができず、吐きそうだった。すべて神経系の反応だ。身体は逃げたがっていたのに、私は『ここに留まって闘え』と言い聞かせていた」
多くの人は、お金を脅威として捉えるようには育てられていない。しかしだからといって、私たちの神経系が物理的な脅威と同じようにお金に反応しないわけではない。内側で鳴る警報は、金融社会化によってしばしば無視されたり、抑え込まれたりする。金融社会化とは、お金についてどのように教えられてきたかということだ。これは多くの場合、幼少期の観察を通じて形成され、思春期から成人期にかけて強化される。お金が何を象徴するのか、お金を持つことの意味、そして人によってはお金がないことの意味を、意識的にも無意識的にも学んでいく。こうした経験は神経系に刻み込まれ、何が「脅威」で何が「安全」かという関連づけを教えてくれる。ここでは、神経系が金融生活に現れる5つのパターンを紹介する。
身体感覚
脳が現実であれ想像であれ脅威を察知すると、自動的に神経系の反応へと入る。これは「闘争・逃走反応(fight or flight)」として知られているものだ。身体を動員し、その場に踏みとどまって闘うか、安全へ逃げるかを可能にする。では、脳が察知する脅威が身体的な危険ではないとしたらどうだろうか。それでも神経系は、次のように反応するかもしれない。
- 心拍数の増加
- 口の渇き
- 発汗
- 息切れ
- 血圧の上昇
- 頭痛
胃の底が沈むような感覚や、胸の中心が締め付けられる感じを覚えることもあるだろう。予期せぬ請求書を開いたときや、想定外の大きな出費が発生したときのことを思い出してほしい。支払いを忘れたり、遅れたりしたときの感覚も同様だ。私がクライアントや聴衆に行うエクササイズの1つは、「お金を身体のどこで感じるか」を特定してもらうことである。これが重要なのは、お金は脅威ではないという考えを再び身につけ直す出発点になり、参加者を自分の身体に立ち戻らせるきっかけになるからだ。
金融の回避
開封されていない郵便物、未申告の税務書類、確認していない銀行口座の残高——これらはすべて金融の回避の例である。金融トラウマの視点から見ると、「安全」を求める行動は、より快適に感じる他の作業で自分を忙しくすることで、問題が存在しないふりをするように見える(そして感じられる)。これらのことが重要ではないと認識していないわけではない。むしろ重要だからこそ、いつか将来取り組もうと思っているのだ。しかしその「いつか」は、郵便物の山が高くなりすぎ、延滞料や罰金を課された後にようやく訪れることが多く、当初の問題をさらに悪化させてしまう。金融の回避は、すぐには特定できない脅威に対する神経系の逃走(flight)反応である。金融の回避が特に危険なのは、現在の財務状況を把握できないまま支出が増え、浪費につながりうる点にある。
明細書を1通開く、電話を1本かける、あるいは回避してきたことを書き出すだけでも、脅威は対処可能であり、自分にはそれを乗り越える力があるのだと神経系に伝え始めることができる。
過剰な金融警戒
回避とは正反対に、お金を1円単位まで管理することで、闘争反応を示す場合もある。従来の金融教育の観点からは、これはポジティブな行動として映る。しかし、その行動の背後にある動機を検証すると、健全な資産管理というよりも、欠乏感、プレッシャー、義務感に根差した反応であることがわかるかもしれない。金融警戒は、口座残高の過度な確認、支出の細かな管理、貯蓄の囲い込み、自分がお金を楽しむことを許さない態度として現れうる。これは現在進行形の「脅威」を感じている場合の反応であることもあれば、過去の脅威の記憶が解けず、決して気を緩められない状態として続くこともある。取り組むべきは、財務への握力を緩めることではなく、その握力が何から自分を守っているのかを見極めることだ。元の脅威——欠乏、不安定さ、プレッシャー——を特定できれば、危険は過ぎ去ったのだと神経系を安心させ、恐れではなく意図に基づいてお金を管理しても安全だと伝え始められる。
不適切な金融意思決定
強い金融ストレスのさなかには、その場では合理的に思えた判断が、振り返れば羞恥や後悔を残すことがある。そうした判断は、安全を求める欲求と結びついている場合がある。それは理屈で説明できる身体的な意味での安全だけでなく、神経系のレベルでの安全である。安全を求めることは、経済的に苦しい状況にあるにもかかわらず、支出が増える形で現れることがある。とりわけ切迫した局面ではそうだ。宝くじ、スポーツベッティング、あるいは短期間で大きなリターンを約束するプログラムや講座への投資は、絶望的な支出(desperation spending)に突き動かされて起こりうる。リテールセラピー(買い物による気晴らし)、高級品や旅行への散財、社交の場で会計を引き受けることは、その瞬間の承認によって安全を感じようとするドーパミン追求の行動になりうるが、後になって自分を苦しめることもある。重要なのは、不適切な金融意思決定は、お金そのものの問題であることはめったにないという点だ。神経系が「早く平常心に戻れる最短ルート」を探しにいっているのである。私は講演やワークショップでよくこう述べる。人は悪い金融判断をしているのではない。その瞬間に自分が知り得る最善の判断をしているだけだ。このトラウマに配慮した見立ては、以前テレビで見かけた次の言葉に支えられている。「異常な状況への異常な反応は、正常である」
金融の境界線の欠如
一般に「闘争・逃走反応」と呼ばれるものには、ほかに2つのストレス反応、フリーズ(freeze)とフォーン(fawn)も含まれる。フォーン反応とは迎合であり、お金の文脈に当てはめると、過度に与えること、他者にノーと言えないこと、さらには職場でのコードスイッチングとして現れうる。これらの反応は、現実であれ想像であれ、脅威を感じたときに自動的に起きることが多い。つまり、境界線を相手に伝えていたとしても、認識されていない不快感から距離を取ろうとして、慣れ親しんだパターンに戻ってしまうことがある。そして後から、自分が言語化した計画を実行する規律がなかったと自責することになりかねない。強調しておきたいのは、金融の境界線の欠如は、根本的な性格の欠陥ではないということだ。むしろ、安全ではないという感覚への反応である。「安全」という観点で捉え直すことで、人はこの行動を振り返り、自分がより安全だと感じられるようなガードレールを金融的なやり取りに意図的に設けられる。
気づきを通じたエクスポージャーは、いかなる癒やしの旅においても第一歩であり、私の枠組み「金融トラウマを乗り越える3つのE」の最初の要素でもある。もしこれら5つの反応のいずれかに自分を見出したとしても、自分は壊れてなどいないし、ひとりでもないと知ってほしい。お金の扱いが下手だということではない。脳が、おそらく設計どおりの働きをしているだけである。金融トラウマは、私たちの文化が認めたがらない以上に一般的であり、前に進む道は思いやりから始まる。ファイナンシャルセラピストのようなトラウマに配慮した金融の専門家と協働する形であれ、次にお金の話題が出たときに身体の反応に気づくことから始める形であれ、目を向ける意思を持つこと自体が、すでに取り組みを進めている証である。さらに深く掘り下げたいなら、これら5つの反応と、それを支える枠組みはOvercoming Financial Traumaで詳しく扱っている。お金との関係を内側から再び社会化していくためのツールが見つかるはずだ。



