中国がもたらした難民体験が事業の原点、「私は誰が敵なのかを知っている」
1980年代後半のビルマで育ったルウィンにとって、中国による台湾侵攻の可能性は、個人的に大きな意味を持つ。当時のビルマでは、軍事政権が、自らに対する民衆の蜂起を受けて激しい弾圧を続けていた。そうした中で、ルウィンは10歳のとき、家族とともに米国に脱出した。
米国がビルマの民主化運動を支援した一方、中国はビルマ政府を支援し、武器を売っていた。この構図は、ルウィンの心に深く刻まれた。「ビルマがここまでひどい状況になった原因は中国にある。私は誰が敵なのかを知っている」とルウィンは語る。
中国政府は、2024年12月と2025年4月にHavocに制裁を科したが、ルウィンは、自身が台湾の防衛力強化を支援したいと公に語ったことがその理由だと見ている(米軍は数週間前、フィリピンで同盟国と毎年実施する合同演習「バリカタン」で、Havocの船を複数使用した。この演習は、中国のすぐ近くで力を誇示する意味合いを持つ)。ルウィンは、南シナ海での中国の勢力拡大を抑止するうえで、Havocに大きな役割を担わせたいと考えている。
「これは米国だけでなく、ベトナムやカンボジアなど、中国の周辺に位置する国々にも関わる問題だ。そうした国々は支援を求めて我々、具体的にはHavocに接触してきている。我々は彼らと関係を築いている」とルウィンは語る。彼はまた、自身の幼少期の経験に触れつつ、「そうした経験が、私を突き動かしているのだと思う。相手側が何をしようとしているのかを、私は身をもって見てきた」と続けた。
1995年、ビルマの米国大使館は、ルウィンが国外に脱出するのをひそかに支援した。ルウィンは母と2人の兄弟とともに、その5年前に国外に逃れていた父の下へ向かった。彼が生まれて初めて見た米国人は、大使館の警備にあたる海兵隊員だった。それがきっかけで、ルウィンはのちに米軍に入る決断をした。2000年に米国の市民権を得た彼は、「子どもの頃の経験は、心に残り続ける」と語る。
カリフォルニアに落ち着いた一家は、父がトラック運転手として、母が看護助手として働き、何とか生計を立てていた。ルウィンは、小遣いを稼ぐために型破りな方法を見つけた。高校2年生のとき、NetZeroの台頭に着想を得た彼は、兄弟とともに「Freest」という再販型のインターネット接続サービスを立ち上げ、有料広告付きで無料のダイヤルアップ接続を提供した。半年後には顧客が100人を超え、月に4000〜5000ドル(約63~79万円)を稼ぐようになり、さらに事業を拡大したいと考えた。そこで兄弟は、銀行に融資を持ちかけた。「銀行はとても乗り気だった」とルウィンは笑いながら言う。「だが途中で、私が高校生だと気づいたんだ」。
ルウィンは海軍兵学校で学士号を取得した。当時の教官で、現在はHavocの幹部を務めるアンドリュー・ロイによれば、ルウィンは「工学的な頭脳」を持つ「優秀な」学生だった。それでもシャツをズボンにきちんとたくし込むことも、部屋を片付けることもできなかったという。ルウィンはその後、海軍で11年間勤務し(うち2年間はペルシャ湾)、航空士官となって、戦闘での功績により航空勲章(エア・メダル)を3度受章した。
ルウィンがHavocの共同創業者で最高執行責任者(COO)のジョー・ターナーと出会ったのは、妻からの紹介がきっかけだった。ルウィンの妻とターナーは、幼い頃にコネティカット州で出会い、ともに育った幼馴染みだった。だが、ターナーは油田サービス業界で働く父とともに、子ども時代の多くを世界各地で過ごしていた。ルウィンと同様に米海軍出身の彼は、昔から起業家としての気質を持っており、2016年に父と水中ビークルの企業Exocetusを立ち上げた。同社は2023年に閉鎖されたが、ターナーはそこで得た教訓をHavocに生かしたと述べている。
「我々は動きが遅かった。特注品のような完璧なビークルを作ることに集中しすぎて、ソフトウェアにも市場開拓にも目を向けていなかった。需要があるかどうかも分からないまま、完璧なものを作ろうとしていた」とターナーは語る。


