問題は、デロイトが福利厚生の仕組みを再設計していることではない。企業は常に福利厚生を見直している。問題は、デロイトがこの決定の底にある大きな変化に名前を与えることを避けた点にある。こうした変更は、AI経済のなかで業界を問わず、組織がますます直面している不都合な問いを突きつける。すなわち、どのような仕事上の関係が長期投資に値するのか、どの役割がより取引的になっているのか、そして企業が時間をかけてなお「中心に据えて組み立てる」対象として見ているのはどの労働者なのか、という問いである。
従業員は、こうした組織のシグナルから、自らの将来的な市場価値を測るロードマップを思い描く。福利厚生が「普遍的な帰属の象徴」として機能するのをやめ、「区分された労働契約の構成要素」として機能し始めた瞬間、従業員はそれに応じて組織との関係を見直し始める。
AI経済において企業が従業員福利厚生を見直している理由
多くの組織はすでに、複数の雇用モデルを同時に運用している。
フリーランサーは安定と引き換えに自律性を得る。契約社員は長期的な福利厚生の代わりに現金報酬を受け取る。経営幹部は、定着と長期的な価値創出にひもづいた、まったく別の報酬構造を交渉する。独立系の働き手は、1社の中でキャリアを築くのではなく、組織間を流動的に行き来する。異なる働き方は、組織と働き手の双方により大きな柔軟性と選択肢をもたらし得る。その柔軟性自体が問題というわけではない。
真の問題は、社会的保護の多くが、従来型のフルタイム雇用に強く結び付いたままであることだ。
医療、年金、社会保障が個別の雇用主に依存しにくい国では、職が変わっても生活の基盤が失われないため、雇用関係がより流動的になりがちである。
米国モデルは異なる。雇用は医療、退職、経済的安定と深く絡み合っており、それが従業員福利厚生戦略の変更を生活の基盤を揺るがす「死活問題」と捉えられる理由だ。影響は報酬の枠をはるかに超える。
いま形になりつつある緊張は、組織が異なる種類の仕事カテゴリーに対して長期的価値を差別化して捉え始めている一方で、「統一された従業員体験」という言葉遣いは維持している点にある。言葉と現実のこの乖離が、デロイトのような発表をこれほど悪く響かせる。


