著者らは、人間の心は目の前の現実から離れて過ごす時間が驚くほど長いと説明する。歩いているとき、シャワーを浴びているとき、職場で座っているときでさえ、私たちは過去を訪ね直し、仮の未来を想像し、会話を再生し、完全に架空のシナリオを作り出す。多くの点でこの能力は心理的に有益であり、先の計画、問題解決、首尾一貫したアイデンティティの形成に役立つ。だが心が、苦痛を伴う思考を「未解決の脅威」として扱い、常時監視すべき対象だとみなし始めると、問題になる。
レビューによれば、持続的思考の一部は研究者が「不一致モニタリング(discrepancy monitoring)」と呼ぶ働きにより駆動される。これは脳が現実を「こうあるべきだった」という想定と絶えず比較する傾向を指す。恥ずかしい記憶がとりわけこびりつくのは、脳がそれを「未完の案件」として何度もフラグ付けするからである。社会的な失敗が未解決だと感じられるため、心はそれを繰り返し意識の表面へ引きずり戻し、後から処理したり修正したりしようとする。
皮肉なことに、この反復的な心のリハーサルは、記憶を解決するどころか強化してしまうことが多い。研究者は、持続的思考が、人が自分自身や周囲の世界を心の中で表象する仕方を徐々に歪めうると指摘する。ある否定的な記憶が繰り返し呼び出されると、時間とともにアクセスしやすくなる。その結果、社会的脅威が現実以上に頻繁で、重要で、将来の拒絶を予測するものだと感じられるようになる。
つまり、屈辱をリハーサルすればするほど、心にとって屈辱が心理的に「取り出しやすい」ものになっていく。
(深夜の考えすぎがたまに起きる程度なのか、より強い持続的思考パターンの一部なのか気になるだろうか。最後まで読めば、心理学に基づく質問票を使って自分の持続的思考パターンを測る方法がわかる)
恥ずかしい記憶の「心的顕著性」
すべての記憶が同じように再生されるわけではないことを、あなたは身をもって学んでいるはずだ。思考に侵入しやすいのは多くの場合、羞恥、居たたまれなさ、社会的失敗の感覚と結びついた瞬間である。だからこそ、軽い不都合や中立的な記憶を反芻して眠れなくなることはほとんどない一方、人前で赤っ恥をかいたと感じた場面や、社会的合図を読み違えた場面にはしばしば執着してしまう。


