トニー・ロイドは元フォーチュン500企業の幹部であり、持久系アスリートでもある。がんの闘病経験が、絶え間ない変化の中で導く仕事に影響を与えている。
あなたはどうだろうか。いま周囲を見渡すと、私はいつも同じ問いに戻ってくる。圧倒されていない人など、いったい誰がいるのか。
空気のように、そして水のように、それはそこにある。地政学的緊張であれ、経済の不確実性であれ、処理が追いつかないスピードで進むテクノロジーであれ、あるいは日々の生活そのものの複雑さであれ、緩まない基礎的なプレッシャーがある。長い間、リーダーとして拠り所にしてきた答えはレジリエンスだった。打撃を受ける。跳ね返す。前に進み続ける。
よくやった、私たち。なんてレジリエントなのだろう。
だが、レジリエンスというハムスターの回し車が機能するのは、時折その回転が止まり、息をつき、状況を見直し、回復できるときだけだ。では、車輪が一度も止まらず、ただひたすら速く回り続けたらどうなるか。ついていけないのはもちろん、士気を削ぎ、非生産的で、持続不可能になる。
レジリエンスが機能しなくなるとき
レジリエンスが以前のように自分を運んでくれなくなったと気づいた瞬間を、私ははっきり指し示せる。フォーチュン500企業の幹部だった当時、ある朝、出社途中に車を走らせていた。1日の先手を打つため早く着く必要があり、制限速度55マイルのところを70マイルほどで飛ばしていた。
目の前に橋台がある。そこへ思い切ってハンドルを切れば、すべて終わる。そんなことを考えたのを覚えている。
自殺願望があったわけではない。だが、それは私を目覚めさせた。システムがもう追いつかないかのように、圧倒される感覚が身体的なものとして迫っていた。
一因は仕事のペースだった。朝起きるとメールが50件。出社する頃には75件。掘り返そうと1日かけ、終わる頃には200件。会議の上に会議が重なる。やるべきことは増える一方なのに、やる時間がない。だが、もっと深い何かが起きていた。
上へ行けば行くほど、意思決定が実際にどう行われるかが見えてきた。そこで見つけたのは、不注意な、あるいは非倫理的なリーダーの集団ではない。絶え間ないトレードオフを強いるシステムだった。善良な人々が正しいことをしようとしているのに、身動きの余地がほとんどない制約の中で動かざるを得ない。
上場企業では、受託者責任は現実である。収益性を最大化しなければ、結果が伴う。取締役会が介入し、アクティビスト投資家が介入し、経営陣は交代させられる。ゆえに、意思決定が「株主か従業員か」「株主か環境か」「株主か地域社会か」という選択に帰着すると、勝つのはたいてい株主だ。
それは理解していた。知的には筋が通っている。だが、「それは本当に持続可能なのか」という問いが頭から離れなかった。
そして私は、橋台へ向かってスピードを上げながら、そこへ切り込むことを考えていた。そんなとき、はっと気づいたのだ。もう、これをやりたくない。そこで私は去る決断をした。
かつて頼れた「間(ま)」
作家で哲学者のエリック・ホッファーが著書『Reflections on the Human Condition』で残した名言がある。「激変の時代には、学び続ける者が未来を継承する。学び終えた者は、もはや存在しない世界で生きる準備ができていることに気づくのだ」
固定したイデオロギーの中で生きると、適応する力を失う。少なくとも多くの人が使ってきた意味でのレジリエンスは、「間(ギャップ)」に依存している。何かが起きる。打撃を受け止める。そして次が来る前に、どれほど短くともリセットする瞬間がある。
生活にある程度の予測可能性があった頃は、困難なときでさえ、そのリズムが存在した。だが、生活のスピードが増すにつれ、ある一線を越えた。いまは、絶え間ない変化が生む混沌としたかくはんが続いている。休息はなく、振り返る余白もなく、止まる兆しもない。
それでもレジリエンスに手を伸ばし続けるのは、別の環境のために作られたものを求めているからだ。だからこそ、多くのリーダーは燃え尽きかけているように感じている。レジリエンスの代わりに残るのは、純粋な消耗である。
持久力について学んだこと
時間をかけて、私は別の動き方を見つけなければならなかった。
私は持久系アスリートであり、マラソンランナーでもあるので、そうした文脈で考える。レースに向けてトレーニングするとき、状況が休ませてくれるのを待ったりはしない。より長く走り続ける力、エネルギーを管理する力、不快でも進み続ける力を鍛える。しかし、常に走り続けて持久力を作るわけではない。それでは消耗するだけだ。
より遠くへ、より速く走るには、より賢く走らなければならない。同じことはビジネスでも言える。ペースが落ちることはない。むしろ加速する可能性のほうが高い。その中でいかに安定していられるかを探ることが仕事になる。
持久力を築くために何が役立つか、私は自分自身の経験と他のリーダーとの対話から、いくつかのパターンを見いだしてきた。
落ち着く(Calm):自分の内面の状態を落ち着かせることができるリーダーは、他者に安定をもたらす。落ち着きは感情的なノイズを減らし、チームがより明晰に考えることを助ける能動的なスキルである。
明確にする(Clarify):リーダーが周囲で起きていることを理解できるとき、持久力は育つ。明確にすることとは、複雑さを解釈し、出来事を目的と結びつけ、意思決定を価値観と整合させる作業である。
変化する(Change):持久力には、方向性を失わずに適応する力が必要だ。変化を常態として扱うリーダーは、柔軟で、好奇心があり、次に来るものに備えたチームをつくる。
つながる(Connect):強い人間関係は感情的な負荷を分散させる。信頼を築き、誠実にコミュニケーションをとるリーダーは、1人で重荷を背負うのではなく、互いに支え合う文化をつくる。
継続する(Continue):持久力は、エネルギー、注意、集中を守る一貫した習慣によって維持される。継続を実践するリーダーは、短距離の頑張りではなく、長期的なパフォーマンスの条件を整える。
大変そうに聞こえるなら、もっと小さく始めればよい。50分の休憩を1回取る代わりに、10分の休憩を5回取る。会議を短くする。存在しないところに、少しだけ余白をつくる。
いま、気持ちが空回りしそうになるとき、私はこのマントラを思い出す。「柔らかな心、温かな笑顔」。それは、速度を落とし、喜びを見つけ、それを外へ広げることを思い出させてくれる。シンプルだが、効く。
自分のレースを走れ
約1年前のことだ。私はリビングルームに立っていた。段ボール箱に囲まれ、27年の結婚生活を終える離婚の手続きをしていた。空っぽのように感じていた。そこへスマートフォンが振動し、事態はさらに悪化した。医師のオフィスから、MyChartを確認するようメッセージが届いたのだ。開くと「pulmonary malignancy(肺の悪性腫瘍)」という言葉が目に入った。
私はマラソンランナーだが、肺がんと診断された。それは別次元の圧倒感である。
私の中に浮かんだ問いはシンプルだった。足元が崩れ落ちたとき、私たちはどう耐え抜くのか。その問いが、私の仕事の方向性と、人生とリーダーシップの捉え方を変えた。
そうした瞬間は必ず訪れる。沈み込み、パニックになり、あるいは感覚を麻痺させることもできる。橋台に車を突っ込ませることすらできる。だが、自分を失わずにそれを通過する道を選ぶこともできる。すべてが渦巻き、崩れていくように感じるときでさえ、自分自身のレースを走ることが不可欠だ。
数週間後、私はケープタウンへ向かう。肺の手術前に出場資格を得た世界選手権レースに出るためだ。いまは肺機能が75%になり、以前ほど速くは走れない。より速いランナーは何千人もいるだろう。彼らほど速く走れないからといって、レースを降りるだろうか。否。自分のペースで走り、他者に追い越させ、通り過ぎる彼らに声援を送る。
なぜなら、最後まで持ちこたえるリーダーは、最も強く押し込む人ではないからだ。物事のスピードが上がるときこそ自分を落ち着かせる。何が重要かを明確にする。変化に適応し、周囲の人々とつながる。そして休息と回復のリズムを保ちながら進み続ける。それが持久力の築き方であり、自分のレースの走り方である。



