AIが実際に役立つ可能性がある領域
皮肉なのは、投稿側で問題を生み出している同じ技術が、編集側では有用になりうることだ。学術出版のボトルネックは生産ではない。評価である。ジャーナルは原稿に溺れ、それを読む査読者を見つけるのに苦労している。AIは、まさにその圧力を軽減しうる構造化された評価に適している。
編集パイプラインでジャーナルがAIをどう使えるかを考えてみよう。人間が投稿を読む前に、自動スクリーニングが読みやすさ、専門用語密度、文の複雑さをチェックする。閾値を下回る論文は、具体的なフィードバックとともに著者へ差し戻す。それだけで、いまボランティアの編集者の時間を消耗させている低品質投稿の相当部分をふるい落とせる。
AIはまた、人間の編集者が直感的だが一貫性なく評価している次元を査定できるかもしれない。たとえば、論文の主張が手法に支えられているか、文献レビューが関連する先行研究を扱っているか、統計的アプローチが研究デザインに合致しているか、といった点である。これらの査定は決定的である必要はない。編集者が注意を向けるべき原稿に注意資源を配分する助けとなる程度に有益であればよい。人間がプロセスの中心に残る。機械はトリアージを担う。査読側では、ガーテンバーグのデータが示すようにAIが理論へ注意を寄せ、データから遠ざけているが、よく設計された査読アシスタントは逆のことができる。査読者に特定の実証的主張へ向き合うよう促し、手法と結果の不整合にフラグを立て、置き換えるのではなく、査読を足場かけするのだ。
筆者の知る限り、この技術は信頼性高く大規模に展開できるほど成熟していない。実装を誤れば新たな問題を持ち込む可能性がある。だが科学における制約は、生産から評価へと移りつつあり、それに対処する最も現実的なツールがAIである。
ガーテンバーグ自身も研究でClaudeやCodexを使っている。彼女はAIを科学から締め出すべきだと主張しているのではない。論文は、今日の地点を測定したものであり、行く末を予測するものではない。筆者自身ジャーナル編集者として、そこに書かれていることはすべて身に覚えがある。増える投稿、低下する査読者の関与、増大する編集負担。システムは踏みとどまっている。開かれた問いは、いまシステムを圧迫しているツールを、逆にシステムを強化するために転用できるかどうかである。


