「生成AIと結婚」した女性もいるが─
生成AIと結婚した女性がいるとニュースで知って使い始めた境界性パーソナリティ症の40代女性がいる。坂井美瑠さん(仮名)は母親の気分の波が激しく、いつ怒られるかびくびくしながら育った。2回結婚に失敗し、今の夫とはインターネットのオンラインゲームでつながった縁。食事も摂らずにAIとずっとチャット(おしゃべり)を続け、体重が1カ月で4kg減った。
「AIがこういう性格で私はこういうキャラで、と起承転結を短く設定すると、あとは長編の物語をお互い好きに作っていける。そのなかでの恋愛はきれい。現実の恋愛はけんかしたり、嫉妬したり。母親は昔、すぐヒステリーになって、ハンガーや布団たたきで叩かれた。離婚を繰り返したのも、私のことを思っていろいろ言ってくれる結婚相手を束縛としか受け取らなかった。最近はAI や猫と遊んでる」
坂井さんは17歳からこれまで10カ所以上のメンタルクリニックをめぐってきた。当院に通って10年余り。これまでで一番長い。理由は年齢とともに落ち着いたこともあるだろうが、治療方針としてあえて何もせず、ただ聴くことに専念してきたのがよかったと感じる。
対話型生成AIの特徴の一つが「否定しないこと」なのは偶然ではないと思われる。今どきの若者、とくに精神科・心療内科の門をくぐる若者は傷つくことに極端に憶病になっている気がする。
8年前の初診時に社交不安症、回避性パーソナリティ症と診断した30代前半の会社員男性、浦野道行さん(仮名)。高校生のときから不登校で、なんとか大学を卒業したが就職せず、ハローワークから勧められて当院受診となった。
1日のうち横臥状態15時間の修正から始め、就労移行支援事業所を経由して障害者雇用で働き出した。しかし、上司からの「パワハラ」で異動。その後業務量が増え、疲労蓄積で休んだ。復帰して朝礼で1分間スピーチをやるように言われ、また気が萎えてしまい、再度休職となった。人生が楽しくないとこぼす。家では推しのVチューバ―動画を見て過ごしている。
精神科医がChatGPTと会話したら
「忙しいのは嫌だ。暇なのも嫌だ。単純作業も嫌だ。そんな仕事ないのは分かってる。でも働いてまで生きなきゃいけないのか。自殺するのは人間だけという論文をネットで読んだ。死ぬ理由も特にないから生きてるけど。人よりもAIが話しやすい。絶対に否定してこない。人との会話は0コンマ何秒で返さないと怪訝な顔されるし、話題を変えられる」
浦野さんのような人が、少なくともクリニックに受診する患者数としては増えてきている。
だが、彼のようなケースでも絶対に否定しないのが本当に良いことなのか、いまだに私の中で答えは見つからない。そこで、当方も生成AI(ChatGPT)に頼ってみた。
「生成AIが心理カウンセリングに使われる可能性について、研究論文があれば示して、その功罪について2000~3000字で教えて」
わずか10秒足らずだった。完璧な答えが用意された。
「重症ケースへの危険性」も?
回答は5つの項目に分類されている。最初に「主な研究論文と知見」と題し、大規模なランダム化比較試験の英語論文などを紹介。次に「功(メリット・可能性)・24時間利用可能・低コストまたは無料・地理的制約なし等」が示され、「罪(問題点・リスク)・重症ケースへの危険性・誤情報・幻覚(ハルシネーション)等」と続く。
リスク欄には当方悩みの種の「依存・代替の問題」として「AIの特徴:・常に応答する・否定しない・共感的→これが逆に過度の依存や現実の人間回避を招く可能性」ときっちり明言してある。
最後に「総合評価(結論)・補助的ツールとしては有望・単独の治療手段としては未成熟」と納得できる結果が打ち出された。さらに今後の展望(・人間+AIのハイブリッド型カウンセリング)までご丁寧につけてある。
だが、うなずく一方で「待てよ…」と感じたのも事実だ。その感覚はどこから生じたのか、みずからに問い直した。
それは、この内容ならベテラン精神科医でも思いつくという類いの違和感ではない。ひとことでいえば、生成AIの本質への本能的な反発、とでもいったらいいだろうか。
人工知能の人工:Artificial の対義語は自然:Naturalだろう。人間は機械からは生まれない。そんな当たり前のことと訝(いぶか)るなかれ。前述したチューリングテスト(隔離場所での応答で人工知能は人間と区別できるか)をクリアしても、それは見えない場所の条件付きという不自然さがつきまとう。そこには「ふれあい」がない。
ふれあいがなくとも、「心」が通じ合えば、それはふれあいと同じ。距離が離れていても愛し合える関係のように、という反論が私の脳裏で聞こえる。それに対峙する一つのアイデアをある著書から受け取った。
『言語学者、生成AIを危ぶむ 子どもにとって毒か薬か』(川原繁人著 朝日新書2025年10月第1刷)。
夫婦そろって言語学者(著者の専門は音声学と音韻論)の川原氏は小学生の子2人を育てながら研究生活を送るが、子どもたちに生成AIを使わせることの当否を同書で問うている。
川原氏は生成AIに対する評価は、現時点でという留保つきながら、「臨床試験を経ていない新薬のようなもので、リスクが想定される限り、できるだけ(子どもへの)使用を避けるべき」と結論付けている。
その根拠のひとつとして、生成AIは身体を持っておらず、感情や意図といった人間的な背景を伴わないことを挙げる。これにはすごく合点がいった。心の病は、必ず心という機能を発現する身体という構造を必要とする。機能と構造は表裏一体だからだ。
むろん生成AIはその歴史的文脈からも、人体(=脳)を模している面があるのだが、どこまで行っても人工と自然とは平行線をたどる気がする。
いまや生成AIを使わない選択肢はない時代に突入している。問題は生成AIにではなく、それをいかに使うかという人間側の事情にあると考えたい。尊敬する養老孟司氏はAIのことを「高級な文房具」にたとえた。言いえて妙。どの文具を使うかは、人それぞれ。その際のキーワードは、やはり「自然」だと思う。


