経済・社会

2026.10.01 18:39

サッカー人気が高まる米国で、なぜワールドカップ観戦はこれほど難しいのか

Smart Future - stock.adobe.com

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20世紀における米国でのサッカー普及のありようは、言うまでもなく『ザ・シンプソンズ』が最も的確に言い当てている。

1997年の名作エピソードでは、カウボーイハットにフリンジ姿の男が「さあ、サッカーを思いきり味わえ!」と叫びながら、グリルの上からサッカーボールを取り上げてカメラに突き出す広告を見て、シンプソン一家とスプリングフィールドの住民たちがこぞって試合へ押しかける。続いて爆発の演出が入り、ホットタブの中で女性たちに囲まれた選手のショットが映し出される。

しかし実際に試合を観戦すると、CMほど派手ではないことにすぐ気づく。1930年代にアメリカン・サッカーリーグが崩壊して以降、米国のサッカーは何十年もの間、まさにそんな状況だった。文化的アイデンティティや米国例外主義に関する学術書は、国として暗黙に理解していたことを明確に記している──サッカーはメキシコ以北のどこであれ、売り込むのが難しい。米国でこの競技を売り込もうとする試みは、しばしば「米国仕様」に作り替えられてきた。

だが21世紀の様相は少し違う。ファンは、スペイン語テレビで長年放送されてきたメキシコの試合だけでなく、人気の高いイングランド・プレミアリーグ、欧州チャンピオンズリーグ、さらにサッカー熱の強い国々から途切れなく届けられる試合中継など、質の高い放送の宝庫から選べる。現地観戦したい人は、世界的GOAT(史上最高)であるリオネル・メッシも所属するメジャーリーグサッカー(MLS)の30クラブ、あるいは十分な支援を受ける下部ディビジョンのプロクラブの数々から選択できる。

つまり「売り込み」の課題は変化した。サッカー関係者は、日常の米国人にこの競技の魅力を理解させることを心配する必要はない。心配すべきは、サッカーがユース年代からワールドカップに至るまで、手の届かない価格帯へと自らを押し上げることで、日常の米国人が締め出されてしまうことだ。

サッカーはどうやって米国に自らを売り込もうとしたのか

『ザ・シンプソンズ』のその回がサッカーファンに崇められるのは、「本当だからこそ笑える」という定番の類いに入るからだ。北米サッカーリーグ(NASL)から、屋内サッカーを未来のスポーツにしようとする複数の試みまで、サッカーは長らく、米国のスポーツ同様のきらびやかさと華やかさで米国に売り込まれてきた。ニューヨーク・コスモスはワーナー・コミュニケーションズの傘下にあったため、バッグス・バニーがピッチに登場してペレとハイタッチするのは、いかにも分かりやすい企業シナジーだった。屋内サッカーはさらに演出を最大限に上げ、点滅するライトと花火で選手紹介を行った。

FIFA(世界サッカーの統括団体)の明確な支援がある場合もない場合も、米国のサッカーリーグは文字どおりルールを変えた。オフサイドはゴールラインから35ヤード以内に限って適用されるよう調整された。35ヤードラインは、攻撃側の選手が交代でドリブルでゴールに向かい、GKと1対1で勝負するタイブレーク用の「シュートアウト」の開始線も兼ねた。NASLが消滅した後でさえ、リーグはスローインの代わりにキックインを採用する実験、チームのファウルが7回に達した場合に通常時間内でもシュートアウトの機会を与える案、ゴールの大型化、そしてカウントダウンし0で突然止まる時計など、さまざまな試行を重ねてきた。

2026年ワールドカップにシュートアウトはないだろう。ノックアウトステージで引き分けた場合に勝ち上がりを決める、伝統的なPK戦を除いては。分かっている限り、チームは審判団の後ろに続いて行進してピッチに入り、TVクルーが顔面にカメラを近づけて国歌の音程の外れた歌唱を捉えられるよう散開するはずで、点滅するロゴから飛び出して花火の事故を避ける、といったことはしない。

しかしW杯は少なくとも1つ、「米国化」を予定している。クリス・マーティンとコールドプレイが「キュレーションする」というスーパーボウル風のハーフタイムショーだ。(クリス・マーティンはコールドプレイのメンバーであるにもかかわらず、なぜ「コールドプレイ」ではなく「クリス・マーティンとコールドプレイ」と明記するのかは不明である。)

ただし、米国化のすべてがFIFA主導で進むわけではない。W杯のスポンサー企業は喜々として参入しており、スティーブ・カレルに加え過去と現在のサッカーのレジェンドが登場する、意外なグループチャットを題材にした広告もある。Truly Hard Seltzerは「Drink Like A Believer(信じる者のように飲め)」キャンペーンを展開しているが、何を信じるのかについて意見が割れるこの国では、不発に終わるかもしれない。

そして、この分断こそが「米国化」の取り組みが苦戦し得る理由である。

サッカー、権力、そして分断

米国とそのサッカーファンが、単一の集団であったことはない。1994年ワールドカップが成功したのは、ファンダムの小さな「点在地」を結びつけ、臨界量へとまとめ上げたからだ。好きなリーグを視聴するためにペイパービュー放送に金を払った欧州サッカーのファン、スペイン語テレビで大勢が観戦したメキシコ系のファン、消滅したNASLのファンで再び自分の街でトップ選手を見たいと願った人々──そうした多様な層が一体となった。この多様性は、単一の主体(MLSなど)が全米のサッカーファン全員に訴求するのが難しい一方で、サッカーが健全な事業へと成長する助けにもなってきた。

しかし今日の違いは、マンチェスター・シティ、クルス・アスル、バイエルン・ミュンヘン、インテル・マイアミのどれを好むか、といった話ではなくなっている。今回のワールドカップが降り立つのは、真っ二つに裂かれた国だ。FIFA会長ジャンニ・インファンティーノは、ドナルド・トランプへの傾倒を隠していない。トランプがノーベル賞を取れなかったことへの慰めとして「FIFA平和賞」なるものまで創設した。トランプ同様、インファンティーノも富裕層を優遇しつつあらゆる牽制と均衡の仕組みを踏みにじったという疑惑を払いのけねばならなかった。そして最も露骨なのが、2034年ワールドカップをサウジアラビアに誘導したことだ。

(偶然にも、かつてトランプ・タワーには、北中米カリブ海サッカー連盟CONCACAFのオフィスが置かれていた。同組織の風変わりな事務総長チャック・ブレイザーは、深刻な法的トラブルに直面し、情報提供者として、国際的に広がるサッカー不祥事で捜査当局に協力するまで、同ビルで派手な暮らしをしていたという。ブレイザーは猫のために別の部屋も維持していたと報じられている。CONCACAFはとっくに移転したが、インファンティーノは最近、このビルにFIFAの新オフィスを開設した。)

加えて、観戦費用を払えるのは富裕層だけになる可能性がある。チケット価格は国際的な反発を招いており、60ドルのチケットを少数放出したところで鎮静化は望めそうにない。

とはいえ、どうやらその額を支払える人々もいるようだ。価格は「ダイナミックプライシング」によって設定され、需要に応じて上下する。もし数千ドルのチケット代を支払う人がいなければ、価格は下がるはずである。

こうしてワールドカップは、富裕層と低所得層が拡大し、中間層が空洞化する「K字型経済」を鮮烈に想起させる存在となった。

ある意味、これほど「米国的」なものはない。しかし多くの米国人は満足しないだろうし、きらびやかなハーフタイムショーが気分を良くしてくれるとも限らない。

(forbes.com 原文)

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