拮抗的多面発現仮説を裏づける、驚くべき証拠がある。2000年に学術誌『米国科学アカデミー紀要(PNAS)』に掲載された、先駆的な進化実験において、生殖の開始が遅れるように人為選択をかけたショウジョウバエ(学名:Drosophila melanogaster)は、通常個体よりも長生きするようになったが、代償として、若齢期に子を残す能力が低下した。若齢期の生殖成功を引き上げると、寿命は短くなり、寿命を伸ばすと、若齢期の生殖成功は低下する。このトレードオフは紛れもなく現実であり、遺伝的に規定されていた。
トーマス・カークウッドは1977年、「使い捨ての体細胞(disposable soma)」仮説を提唱し、拮抗的多面発現のロジックを生理学に拡張した。カークウッドによれば、体細胞は、DNAの修復や、タンパク質の品質管理、細胞の老廃物処理といったメンテナンスに投資をするが、完璧を期すわけではない。外的要因による死亡率が高い場合、個体は、いずれにせよそこまで長生きできないため、完璧にメンテナンスされた体は必要ない。したがって、半永久的な維持管理よりも、生殖に対してリソースを配分する個体の方が、自然選択を通じて選ばれていく。
これはすなわち、人体がそもそも永続的なものとしてはつくられていないことを意味する。人体はむしろ、生殖のためにできているのだ。そして、生殖という目的を果たした後は、進化的に言えば、もはや用済みということだ。
老化は、ヒトだけの現象ではない
生物が進化させてきた、それぞれの種の寿命は、途方もなく多様だ。この多様性の大部分は、同じロジックを適用することで、直感的に理解しやすくなる。
捕食者に対する効果的な防衛手段(例えば、殻、飛行能力、毒など)を備える種は、外的要因による死亡率が比較的低いため、生涯の終盤になっても自然選択が強く作用し、内的要因による死亡率を下げるようにはたらく。例えば、同じくらいの体重のコウモリとトガリネズミを比較すると、前者の方が数十年長生きする。それに、カメに至っては動物のなかでトップクラスの長寿だ。
先述の『PNAS』に掲載されたショウジョウバエの論文は、このことを実験的に裏づけた。成虫期に高い死亡率にさらされた集団は、老化のスピードが速まったのに対し、死亡率が低い集団はゆっくりと老化するようになった。老化のスピードは固定的なものではなく、選択の強さを反映するのだ。
生物学者たちは長いあいだ、少なくとも一つの分類群が、全面的に老化を免れていると考えてきた。その分類群とは、細菌だ。G・C・ウィリアムズは、生殖細胞と体細胞の明確な区別のない生物――ほとんどの単細胞生物はこれに該当する――は、原理的に不死身であると論じた。「使い捨てされる」老化する体細胞は存在しないし、先送りされた弊害が蓄積することもない、というわけだ。
しかし、この聖域でさえ、後には崩された。細胞分裂によって増殖する大腸菌(E. coli)にさえ、老化現象が検出されることがわかったのだ。これは、細胞より小さな単位で見ると、母細胞から複数の娘細胞が受け継ぐダメージは均一ではないため、齢構造が生じ、これに対して自然選択がはたらくためだ。不均衡が生じれば、やがて老化が進化する。生命は、どうやら老化を逃れられないようだ。
老化は、修正されるべきアクシデントではないし、解決が待たれる謎でもない。それはむしろ、自然選択のもとにある生物にとっては不可避に等しい特性だ。
老化とは、生殖と個体差のある世界、そして、長生きが進化の最優先事項には決してなり得ない「危険に満ちた世界」において、必然的に生まれる現象なのだ。


