5年ほど修業を積んだのち、六本木ヒルズクラブの立ち上げを手伝いに東京へ出て、その後、縁あって京都に戻り「高台寺和久傳」に入社。料理はもちろんのこと、すべての設えから器まで、その美意識の高さには目を奪われるものがあり、いつか自分にもできたらと、憧れの気持を持って働いていたという。
「もともと30歳で独立しようと決めていました。2年ほど遅れましたが、32歳で『じき宮ざわ』を開くことができました。高台寺和久傳の後に祇園の店で料理長を任されたあとのことです。当時はまだ資金もなくて無垢のカウンターが入れられなくてすごく悔しい思いをしました。いつか絶対にと、心に誓ったものです」
器は修業時代から少しずつ集めたものなどでやりくりしながら、それでもどうにか茶席の凛とした空気感が伝えられるように工夫した。「最初は昼3500円、夜7000円からのスタートでしたが、何とか少しずつお客様もついてきてくださって形になっていきました」。
季節感を大切にした、軽やかで繊細な料理と趣味のいい器の取り合わせが評判になり、またたくまに話題の店となった。
その後「ごだん宮ざわ」も出店し、現在はそれらの店をたばねながら、自身は2年半前にオープンした「獨歩」の料理に専心している。価格も上がったが、料理のクオリティに関しても、何段階もステップアップしている。

獨歩をオープンさせたいきさつはコロナ禍に遡る。客足が遠のくなか、物販に力を入れようと季節の鍋に照準を合わせた。OEM商品が多いなか、一からの手作り。美味しいに決まっている。あっという間に火がつき、専用の厨房スペースが必要になり、物件探しをするなかで現在の場所に出会ったのである。
まるでひとめぼれ。倍率も高く無理だろうと思っていたところ、大家さんがお客様だったと言う幸運も重なり、譲り受けた。図面を引き(自分の店舗をオープンする際は、必ず自分で図面を引くそうだ)、手塩にかけて仕上げていくうちに、これはどうしても自分が立たないわけにはいかない、そんな気にさせられていったっという。
「やるからには扱う素材のグレードも料理のグレードも上げ、よりお客様の満足度上げて行きたいと思いました」


