食&酒

2026.05.23 14:15

茶の湯が導いた料理人 「獨歩」宮澤政人の現在

魯山人から明代の器まで、繊細な料理との取り合わせにほれぼれとさせられる懐石割烹「獨歩」。京都・北大路の鴨川畔に建つ瀟洒な数寄屋造りで腕を振るうのは、51歳と最も脂がのっている頃合いの料理人、宮澤政人氏である。

3月半ばに店でいただいた、名残の松葉ガニとフグの白子のすり流しの椀は、忘れられないほど美味しかった。精緻で創意に富んだ料理の素晴らしさはもちろん、カウンターでの所作の美しさや柔らかな人柄も相俟って、幅広い客層から人気を集めている。

宮澤氏の実家は寿司屋。いつかは自分も料理の道に進むだろうと思っていたという。父親の紹介で地元・神奈川で修業を始めたものの、京都に行く機会があり、祇園を訪れ、自分の働く場所はここしかないと、すっかり舞い上がってしまった。

父親に詫びて、包丁1本持って、ツテも何もないまま京都へ向かった。目星を付けた店にいきなり働かせてほしいと飛び込んだが、当然ながら門前払い。世の中の厳しさを初めて体験した。

ならば大阪に行ってみようと訪れたが、やはり違うなと感じ、這う這うの体で神奈川にもどる。働きながら、紹介の機会をうかがい、最終的に京都ホテルに就職が決まった。滋賀の名料亭「招福楼」出身の料理長のもとで、毎日震えるような感動を味わいながら修業に励んだという。

その折、茶の湯の稽古をさせられたそうだ。女性がやるものだとばかり思っていたから、不思議でたまらなかった。が、それこそが、後の宮澤氏の芯となるものを形作るきっかけとなった。

その後調理師試験を受けに行った際、ひょんなことから「柿傳」で働かないかと誘われた。柿傳と言えば茶懐石の第一人者。懐石料理を深く学びたいと言う思いから転職した。柿傳では料理はもとより、茶の湯の稽古が第一。そして全国津々浦々を回って茶事を行った。

「これこそが懐石料理の神髄だ、自分が求めていたものとぴたりと合致すると、毎日が勉強でした。ある時、桃山時代の志野の器に料理を盛らせてもらったのですが、なんて美しいんだろうと、涙が出るほど感激しました。ああ、自分はこういうものを目指しているのだなと、はっきりと焦点が見えた気がしました」と、当時を振り返る。

次ページ > 32歳で独立、瞬く間に評判の店に

タグ:

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事