最初に前澤さんに謝っておきます。男性のぼくがこのテーマについて語ると、かなり勘違いをする怖さがあります。いや、勘違いはどこにでもあります。でも、実際に身に痛みを覚えて子どもを生んでいない者の育児論には、どうしても男性の傲慢さが入り込む余地が多く、慎重にならざるをえないです。それでも地雷を踏むかもしれませんが、ご容赦を!
息子は大学を休学してプロのフォトグラファーをやっています。今年25歳になります。フォトグラファーになる決定的な動機は、パンデミック中に大学に行けなかったことです。高校の頃からやっていた写真やビデオの撮影をテーマに暇に任せてTikTokを始めたら、3カ月ほどで3万近いフォロワーを獲得したのです。
モデルの子から写真を撮ってくれ、高校から写真の撮り方を教えてくれ、と多数の依頼がありました。特に20代のモデルの子たちから、同世代のフォトグラファーに撮ってもらいたい、と要望があったのは強く彼の背を押したはずです。
それで、大学よりも仕事を優先したいとなったわけですが、ソーシャルメディアでの注目が職業選択の契機というのは「今どき」です。そのときの決意は、注目度と依頼の数がもとにありました。5年を経た現在、その彼が「ソーシャルメディアでのフォロワー数はほとんど意味がない。どのような人間関係が築けるかがポイント」と話すのも、また「今どき」です。
それが人生として良いのか悪いのかは親が言えることではないのですが、時代や環境によって意識や認識が異なるのは当たり前という現実を受け止めるだけです。ぼくたちは子どもを「編集された生活に組み込む」という考え方をしたことはないですが、そのような方向を模索したい親もいるだろうとは想像します。
ただ、ライフスタイルの編集方針は常に変化する。これまた人の避けられない習性です。これまでも何度か書いた、ぼくのトリノ時代の師匠、故宮川秀之さんの言葉を思い出します。
ぼくが結婚を決めたと彼に報告をした時、「どうして結婚するのだ?」と真っ先に聞かれました。そのとき、ぼくは小賢しくも「人生の理念や目標が共通すると感じた」というようなことを話したら、即、「分かってない。そんなのコロコロと変わるのが人生」と言われてしまいました。「彼女の傍にいつもいたいという動物的な感覚をもったのか?」と問われたのです。
したがって、子どもを「編集された生活に組み込む」とは、子どもからすればいい迷惑になりかねない。また、たとえば、多様なライフスタイル経験を提供してくれたと感謝されるのかどうか、それは親よりも子どもの資質と考え方でしょう。


