妊娠・子育ての時期は疎外感や孤独を感じやすいものです。こういった親像を起用するキャンペーンに頻繁に出会えば、企業やブランドが親としての自分たちを忘れていない、むしろ祝福し、居場所を与えてくれていると感じるでしょう。だからこそ、私もディオールがロダン美術館の展示に子どもを招いた写真に好感を抱いたのだと思います。
では、親が子どもを「編集された生活」に組み込もうとするとき、その子どもたちはどんな大人に育つのか。私たちはそこまで考えられているのでしょうか。そんな不安を抱き始めたきっかけは、私が講師として勤めている専門学校の学生の振る舞いでした。
私は1年前からIT系の専門学校でデザインを教えているのですが、気になっているのは、どの学生も「物分かりが良すぎる」ことです。いつでも変に落ち着いていて、理解があり、真っ当な受け答えをします。それは計算された「パフォーマンス」のようにすら見えます。実際は何に感動し、興奮するのかを隠し、世間にとって「最適な」態度を演じているような、そんな気がしてやまないのです。
この違和感を確信したのは、先日とあるテーマパークに訪れたときでした。その日、園内ではテレビ収録が行われていましたが、驚いたのはそれが特別目立たないほどに、多くの一般客がそれぞれ「ブロードキャスト」していたことでした。
ヘアメイクや服装をチェックし、携帯の位置を調整し、画面の向こうに向かって大袈裟な素ぶりで話している。その光景を見て初めて、若い世代が直面している世界観を一望したような気がしました。彼らは常に「公開される」前提で日常を送っている。そのために、誰もが芸能人やエンターテーナーのように振る舞わざるをえなくなっているのかもしれない、と。
小学生の「将来なりたい職業」の上位にインフルエンサーがあがり、注目を浴びる仕事の存在が雲の上の話ではなくなっています。スマホがあれば誰でもブロードキャスターになれる世界は、反対から見れば、常に自分の日常が誰かの「エンタメ」となりえる状態でもあります。


