「跡継ぎがいない」──。農業界で深刻化して久しいこの問題は、今や食料安全保障を揺るがす構造的なリスクとなっている。高市政権が掲げるフードテック戦略などの追い風が吹く一方で、現場ではプレイヤーの若返りが進まず、次世代へのバトンタッチの大きな障壁となっているのが現実だ。
農林水産省は4月20日、停滞する農業界の円滑な新陳代謝を目指し、農業分野で初となる「法人版 第三者継承ガイドライン」を策定した。この指針が、これまで手付かずだった農業M&Aのスタンダードを確立し、外部資本や若手経営者の参入を加速させる呼び水となりうるのか。今回策定を受託した大和フード&アグリの担当者に、ガイドラインの真意と、これからの日本の農業が選ぶべき「勝ち筋」を聞いた。話を伺ったのは同社コンサルティング事業責任者の藤田 葵氏、官公庁向け調査計画や企業の農業関連事業における戦略策定支援を推進する飯野 祥行氏。
M&A全体に占める農業の割合は1%未満
──農業M&Aガイドライン策定の背景は。
藤田葵(以下、藤田):2020年農林業センサスによると、「5年以内に後継者を確保できている」と答えた農業経営体は全体の約3割にとどまり、残る約7割が後継者不在の状態にあります。農業従事者はすでに100万人を切っています。5年くらいは持つかもしれませんが、しかし10年となると、後継者のいない農業者がごっそりと7割がいなくなることが見込まれます。
もちろん、農水省が手を打ってこなかったわけではありません。これまでの柱は大きく2つありました。ひとつは「新規就農者の呼び込み」。農業経験のない若者に支援を提供し、農業を始めてもらうアプローチです。もうひとつは「企業の農業参入の活性化」。異業種から農業界に資本と人材を引き込む試みです。しかし、いずれも、ゼロイチを前提としたモデルで、ノウハウの蓄積や事業化までに相当な時間とコストがかかる課題がありました。

そこで農水省が次の一手として位置づけたのが「第三者継承」です。これまでの農業事業譲渡は個人間での継承が一般的でしたが、もう一段階踏み込んで「株式譲渡」という概念を農業分野に持ち込む試みです。
ただ、日本全体のM&A件数は年間3000〜4000件程度で推移していると言われますが、増資なども含めた農業関連は1%にも満たないと推計されています。株式譲渡の形に限れば年間10件を切る水準にとどまっています。
20年に策定された、中小企業庁の「中小M&Aガイドライン」とは背景が異なり、今回の農業M&Aガイドラインはまだ件数が1%に満たない段階で「まずやり方を知ってもらう」「考える材料を提供する」ための参考資料という位置付けです。農業の産業としてのあり方の特殊性があるかもしれません。
──農業M&Aのハードルとは。
藤田:M&Aのプロセスは、売り手と買い手が同じ土俵に上がることから始まります。一般のM&A市場であれば、仲介業者のもとに「売りたい」「買いたい」という情報が自然に集まり、マッチングが動き出します。ところが農業ではそうはいきません。全くの他人に会社を売ることへの心理的ハードルが高く、売り手は情報を大っぴらに出したがりません。近隣の人に相談して株式譲渡ではなく土地の利用権の移転で済ませてしまうケースも多いです。結果として、買いたい側も売り手の情報をキャッチできず、マッチングが成立するまでのコストと労力が極めて高い状態が続いています。
飯野祥行(以下、飯野):さらに資産評価の面でもハードルがあります。デューデリジェンス(DD)では、土地・施設・機械設備だけでなく、樹木や家畜などの生物資産をどう評価するか専門的な知識が不可欠です。農地集約が進まない問題点として、家族内のコミュニケーションギャップで支障が出るケースもあります。親が「家族以外に貸してもいい」と思っていたのに、子供が突然「自分が継ぐ」と言い出して話がひっくり返る。そうした個別事情が、M&A成立手前で案件を消滅させる事例は実際にあります。
農地法に絡む企業価値評価の試算も
──農業M&Aガイドラインのポイントは。
飯野:3章構成で、農業M&Aを巡る現状、第三者継承のプロセス論、支援機関・役割分担の解説がまとめられています。ただ、農業分野でM&Aや株式譲渡の事例は少ないため、中企庁のM&Aガイドラインを参照しつつ、農業特有の論点を上乗せする形で作られました。最も注目すべきは、事業譲渡の際の農業特有の論点が初めて体系的に整理されたことです。

特に色濃く現れたのが、企業価値評価の試算とDDの領域です。一般企業のM&Aであれば、DDの対象は財務・法務が中心ですが、農業には農地法に絡む事項として、取得後も農地を所有・利用し続けられるかどうかの確認は欠かせません。さらに、補助金については、引き継ぎによって受給要件が変わり、場合によっては返還が必要になるリスクの検討、認定農業者などの制度認証が引き継げるかどうかといった、重要な論点が記載されています。
さらに、支援体制の面では、一般のM&Aとは異なり、支援は必ずしも1社で担う必要はなく、弁護士・金融機関・自治体が連携して対応するケースも多いです。各都道府県に窓口のある農業経営・就農支援センターや自治体が重要な役割を担うことが明示されました。そうした「支援者の組み合わせ方」についても、事例調査をもとに整理されています。
──農業分野に参加する新規プレイヤーが増える兆しはありますか。
藤田:農業を選ぶ若者の意識も変わりつつあります。ここ10年ほどで、就職活動で農業法人や農業事業を展開する企業を選択肢に入れる学生が増えてきました。少子化が進む中で農学系・食品系の学部を新たに新設する大学が出てくるなど、大学側も農業を軸にした新しいカリキュラム作りに動いています。新しい仕事のあり方として、既存の農業法人の経営を引き継ぐというキャリアチェンジの選択肢が、少しずつ現実的になっています。
日本の強みは6次産業モデルにあり
──そもそも日本農業のポテンシャルをどう見るか。
藤田:規模やコストの面で制約があることは事実です。大豆やトウモロコシのような土地利用型作物では、広大な農地を持つ海外に価格競争力でかないません。しかし、施設園芸や果樹といった分野では話が変わります。限られた土地から高い収量を引き出し、年間複数回の作付けを行うなど、狭い国土を有効に活用する技術と知恵において、日本農業には確かな強みがあります。
もう一つ、海外の農業者と話していて感じるのは、日本の農業経営者のノウハウの多様さです。海外では「うちは麦を7000ヘクタール」「酪農で何百ヘクタール」という単一品目・大規模特化型が主流です。一方、日本では1社で複数品目を手がけ、生産から加工・販売・小売までを一体で運営する経営者が、規模は小さくても一定数存在します。6次産業化と呼ばれるこのモデルは、日本の強みです。これだけのポテンシャルがある産業だからこそ、プレイヤーの新陳代謝を起こし、リスクマネーを呼び込む意味があると考えています。
大和フード&アグリ◎2018年に大和証券グループ本社の出資により設立し、大分・静岡・北海道の農園子会社3社を運営。6ha以上の環境制御型温室でトマトやパプリカの生産・販売を行いながら、農業M&Aのノウハウを蓄積。23年からは伴走型の農業コンサルティングサービスも展開する。
藤田 葵(ふじた・あおい)◎生産部副部長。大手コンサルティングファームを経て、植物工場スタートアップにて事業開発、農業人材育成に携わる。生産子会社の代表取締役、工場長を経験。2020年から参画したDFAでは中期経営計画策定、マーケティング・自社ブランド立ち上げを担当し、現在コンサルティング事業責任者。東京大学大学院(修士)、政策研究大学院大学(修士)。明星大学経営学部非常勤講師。
飯野 祥行(いいの・よしゆき)◎生産部次長。中央官庁にて農業政策立案に従事後、日系シンクタンク、日系SIerにおいて企業・自治体向けの戦略策定支援およびDX支援を担当。農業および地域の持続的発展に取り組む。2025年よりDFAに参画し、官公庁向け調査計画や企業の農業関連事業における戦略策定支援を推進。東北大学大学院(修士)。



