コンテクスチュアル・ランゲージにおける【本論】
ここから少し上述した【主張・本論・議論】の構成を学術的な観点から補足しよう。以前から解説を行ってきているが、日本語のコミュニケーションでは空気を読むことが言語の使い方の文化である一方、英語は以下のような構成で発話し、聞くのが文化となる。
1.背景
2.主張
3.本論
4.議論
5.結論
本稿で触れたのは2.主張、3.本論、4.議論の部分である。
英語のコミュニケーション文化では、【本論】は自分で作り、そして相手に伝えるのがスタイルとなる。
このようなコミュニケーション文化においては、コミュニケーションの基礎となる親子の会話で、保護者が子供に対して「なぜ○○という主張をするの?自分で(頑張って)説明してごらん」とうながすコミュニケーションが自然と生まれる。
そして子供たちは成長するにつれ、学校、そして社会において、それぞれが自然と、どのような【本論】が通用するのか、相手が納得するのかを体験的に学ぶこととなる。
実はこのことを裏付けるような経験が筆者にもある。
筆者は香港で生まれ、日本人小学校・中学校に通い、高校でアメリカンスクールに移った。アメリカンスクールに通い始めてからは、毎週金曜日、学校のあとは仲の良い友人らと集まって映画を見たり、友達宅に泊まりに行ったりしていた。
筆者は頭痛持ちだったこともあり、ある時金曜日頭痛がしていたので、休息の必要を感じ、友人に「今日は行けない」と伝えた。
すると間髪いれずに、「Why?」と来た。筆者は頭の痛さを我慢しながら早く会話を終わらせようと、また終わることを期待して「頭痛があるから」と言った。
すると友人が「俺、頭痛薬持ってるから大丈夫だよ」と返してきたのだ。
実は筆者の日本人中学校までの体験上「頭痛があるから」は、その日は遊べない、という決定的な常套句だった。しかしアメリカンスクールでは解決策を提案してきたのだ。先ほども述べたように、筆者は比較的幼少の頃から頭痛持ちだったので「頭が痛いから遊べない」というフレーズは数えきれないほど使ってきた。そしてそのフレーズの後は決まって、「そっか。じゃあまた今度」という返答がきたのだ。
しかしアメリカンスクールに入って友人から言われた「俺、頭痛薬持ってるから大丈夫だよ」という返答は筆者にとっては初めての体験でもあり、自分の【本論】が通用しない、相手が納得しない、という体験となった。
また、アメリカンスクールに入ってからなんとなく感じていた、「英語のコミュニケーションが日本語のコミュニケーションのようには進まない」という印象が、実体を伴ったような瞬間ともなった。
この後、頭痛薬をもらって遊びに行ったかどうかは忘れてしまったが、友人のこの返事を受けた時に、自分のコミュニケーション方法を彼ら流に合わせて変えていかなければならない、と強く受け止めたことは覚えている。
すなわち、これこそがコンテクスチュアル・ランゲージへの体験的な理解であり、日本語のハイコンテクストから英語のローコンテクストへ切り替える必要性を受け止める印象的な体験となったのだった。
以後、筆者自身も普段の会話から意識して、相手が納得してくれる【本論】作りに努力するようになった。


