現実と虚構の間で
写真自体も、際に立たされているといえる。記録として揺るぎない価値があったはずが、フェイク画像が紛れ込み、その信頼が揺らいでいる。フランスの写真家ユニット、イヴ・マルシャン&ロマ・メェッフェルによる展示「残されるもののかたち」は、その現実を如実に表している。

会場は、かつて学生寮として使われていた「重信会館」。外壁が蔦で埋め尽くされ、空っぽのまま時がたった廃墟には、彼らが20年以上にわたって記録してきたデトロイトや軍艦島などの廃墟の写真、生成AIを用いてパリや京都を廃墟化した作品が展示されている。
例えばパリの名所、ムーラン・ルージュの風車が崩れ落ちた写真は、無数のプロンプトとトライアル画像とともに展示。さらに「何千枚と試作していた翌日、実際にプロペラが落ちる事故が起きたため、それを伝えるニュース記事も添えた」というが、聞かなければ、その記事までがフェイクと思ってしまう恐ろしさがある。
屋上には京都タワーを望む望遠鏡があり、覗くと、そこには荒廃した京都の街の姿が映る。それは訪れうる未来なのか、どうしたら避けることができるのか。虚構は人を欺く一方で、想像力や行動力も掻き立てる。
エッジはどこから生まれるのか
嶋臺ギャラリーでは、50年以上にわたり世界の著名人たちのポートレートを撮影してきた写真家、アントン・コービンの回顧展が開催されている。「音楽が大好きで、カメラがミュージシャンに近づく手段だった」という初期の作品から、ハリウッドスター、モデル、画家などを捉えた100点以上が並ぶ。
エッジというテーマに関して、「私の作品はエッジィだと言われることはよくありますが」とコービン。エッジィとは尖っている、言い換えればコービンらしさが確立されているということで、聞けばその独自性は彼の撮影スタイルに由来するとわかる。
ポートレートを取る写真家は数多くいるが、コービンはスタジオで緻密にライトやセットを組むのではなく、一貫して自ら被写体のもとへ赴き、自然光で撮影してきた。「撮影は面白いものを撮るための旅」だと彼はいう。
またそのなかで、極力デジタルを遠ざけてきた。「デジタルに頼ると、人は完全さを求めるようになる。でも不完全なほうが人間らしさがあり、それはアナログにこそ宿る」という考えからだ。エッジとは、奇を衒うことではなく、同じことを愚直に積み重ねることで自ずと際立つものなのだ。
文化の境界を押し広げていく
その意味で、エッジは「KYOTOGRAPHIE」そのものにもあてはまる。
2012年にルシール・レイボーズと仲西祐介が立ち上げたフェスティバルは、京都や日本で、“恒例行事”として定着したのみならず、世界から人を集めるイベントに成長。こうした文化芸術への貢献と、日仏文化の架け橋となる活動が評価され、レイボーズと仲西は今年、フランス芸術文化勲章シュバリエを受章した。

積み重ねにより端が現れ、際立ち、外側と接する面が増えていく。するとそこでまた新たな交差や展開が生まれていく。巨匠と呼ばれるクリエイターも、地域に根付くイベントも、一朝一夕ではなく、その活動の継続が価値の根源にある。KYOTOGRAPHIE2026は、そうした本質的なことを示している。


