経済・社会

2026.06.06 14:15

フィールドで読み解く「全体像」と境界をあいまいにするまちづくり

私たちがまちや組織で「余白」を残すのも、まさにこの快楽と倫理の接続のためではないでしょうか。ガチガチに決めつけず、参加者が自分事化できる隙間があるからこそ、ヒュッゲも、イノベーションも生まれるのです。行政の現場でいえば、手続きの正確さだけを競う文化は強いですが、民間に来て痛感するのは、正確さのあとに続く「物語」と「感情」がなければ、変化は拡散しないという事実です。デンマークは、その接続の作法を、都市のスケールで実演してくれる国でもありました。私たちが街や組織で「余白」を大切にするのは、楽しさや心地よさ(快楽)と、社会的な貢献や規範(倫理)を結びつけるためです。すべてを厳密に決めすぎず、参加者が「自分ごと」として関われる自由なスペースがあるからこそ、心地よさ(ヒュッゲ)も革新(イノベーション)も生まれるのです。行政の現場では、手続きの正確さが重視されがちですが、民間での経験から痛感するのは、正確さの後に続く人々の心に響くストーリーや感情がなければ、変化は広まらないという事実です。デンマークは、この「心地よさと倫理を結びつける方法」を、都市全体で実践している国なのです。私が手掛ける「FactorISM」や「みせるばやお」をはじめとするまちづくり事業の活動もこうあるべきだと強く感じました。

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クリエイターやアーティスト、まちのプレイヤーとものづくりを掛け合わせる仕事をしていると、ときどき「正しさ」と「楽しさ」の順序を間違えそうになります。正しさが先に来ると、現場は緊張し、楽しさが先に走ると、責任が薄く見える。ヘドニスティック・サステナビリティが示すのは、順序ではなく重ね合わせです。屋上で滑る愉快さと、エネルギーの現実と、子どもが見る学び。重ね合わせが成立するとき、人は冷笑ではなく参加を選びます。これは都市だけの話ではなく、社内の小さな実験にもそのまま当てはまります。福利厚生を「補償」ではなく「意味の共有」として設計できるか。会議を「決裁」ではなく「対話の型」として設計できるか。境界の越え方は、スケールを変えて繰り返し現れるのです。クリエイターやアーティスト、まちのプレイヤーと何かを一緒につくるとき、「正しいこと」と「楽しいこと」のどちらを優先するか迷うことがあります。正しさを優先しすぎると現場に緊張感が走り、楽しさを優先しすぎると無責任に見えてしまうからです。

しかし、「ヘドニスティック・サステナビリティ」(快楽的な持続可能性)が示すのは、どちらかの順番ではなく、両方を同時に実現することです。たとえば、ビルの屋上で楽しく滑ること(楽しさ)と、エネルギーの制約(正しさ)、そして子どもたちの学び(意味)を重ね合わせるように。

この「重ね合わせ」が成功すると、人は批判するのではなく、進んで参加するようになります。

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これは都市開発のような大きな話だけでなく、会社内の小さな取り組みにも当てはまります。例えば、福利厚生を「単なる補償」ではなく「意味を共有するもの」として設計したり、会議を「決定のための場」ではなく「対話のスタイル」として設計したりできるか。

このように、物事の境界線をどう乗り越えるかというテーマは、大小さまざまな場面で繰り返し現れるのです。

次ページ > 4. まとめ:あなたの「全体像」の語りは、どこから始まりますか?

文=松尾泰貴

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