3. コペンヒルと「快楽的持続可能性」:単一施設を超えたナラティブ
都市研究の言葉でいえば、単一機能の施設を寄せ集めただけでは、人は「ただの利用者」のままです。インフラ、レジャー、環境政策が、同じ物語(ナラティブ)を共有しているとき、人は「まちの当事者」に近づいていく、コペンヒルが象徴的なのは、その境界をあいまいにする力だと私は解釈しています。廃棄物処理、エネルギー、スキー場、展望、教育。一見バラバラな機能が、一本の線で「こういう未来を選ぶ国である」というメッセージに束ねられている感覚は、現地で肌で受け取りました。
この「束ね方」は、デジタル上のブランディングとは質が違います。SNSで流れる美しい断面は、都市の運用コストや、現場の労働、メンテナンスの政治を必ずしも映しません。だからフィールドリサーチは、写真のフレームを広げる作業でもあります。風向き、音、匂い、人の距離感。スライドに載らない変数こそが大切だと言っても過言ではありません。私たちはしばしば、見える部分だけを参考にし、見えない部分の請求書を現場に押しつける。デンマークで痛感したのは、その請求書の存在でした。この「まとめ方」は、デジタル上のブランディングとは種類が異なります。SNSで見かけるような、見た目の美しい部分は、その都市を運営するためのコストや、現場の労働、維持管理に関する政治的な側面を必ずしも反映していません。だからこそ、現地調査(フィールドリサーチ)は、写真に写る範囲を超えて、全体像を捉える作業なのです。風向き、音、匂い、人との距離感。スライドには載らない、目に見えない要素こそが非常に重要です。私たちは、しばしば目に見える部分だけを判断材料にし、目に見えない部分にかかる負担(請求書)を現場に押しつけがちです。デンマークで痛感したのは、まさにその見えない負担の存在でした。
建築家ビャルケ・インゲルス(BIG創設者)の言葉に、ヘドニスティック・サステナビリティ(快楽的持続可能性)という考え方があります。「持続可能性がよりよくデザインされ、暮らしやすくなければ、決して勝ち切れない」。要するに「正しさ」だけでは人はついてこない、ということです。義務や制限としてのサステナビリティではなく、遊べて、気持ちよく、誇れる体験として設計されたとき初めて、文化として定着する。
コペンヒルのようなプロジェクトが象徴するのは、設備の多機能化というより、市民が自分の都市について語るときの「語彙」を増やす装置だと私は捉えています。ゴミ焼却とレクリエーションと学びが、分断された施設名ではなく、一つの未来像として語られるその瞬間、人は利用者から当事者へ近づきます。BLOXHUBのようなハブも同様で、建物の中に何があるか以上に、「誰が、どんな問いを持ち込み、どんな越境が起きるか」が価値の中心にあります。

デザインや建築は、デンマークにとって産業であると同時に、外交の語彙でもあります。美しい写真は国のブランドを運びますが、ブランドが強いほど、生活者の側では「理想像」と「日常」の落差が痛みになり得る。前述で触れた影の話と地続きです。だからこそ、視察に行く人間には、展示と生活の両方をセットで見る倫理があると思います。


