チャールズ・ダーウィンは、1872年に出版された著書『人及び動物の表情について』(邦訳:岩波文庫)において、感情をあらわにして泣くという非常に人間らしい行為を「無益だ」と断じ、随伴現象、すなわち生物学的には副次的な事象だとつづった。あらゆる子細な行動に意味を見いだしていたダーウィンにとって、これはまさに敗北宣言だった。
それから約150年が経った今、ダーウィンもお手上げだった難問に、ついに答えが出た。しかもこの答えは、ダーウィンが想像できたであろう範囲を超えた、不思議で奥深いものだ。
「泣く」という行為には、表面上は、生存上のメリットはほとんどないように見える。泣けば、視界はぼやけてしまうし、近くにいるあらゆるものに対して、自分が脆弱な状態にあると瞬時に伝えることになる。ゆえに、明らかな利点はまったくない。しかしどういうわけか、泣くことは、人間にとって普遍的な行為だ。
記録されているあらゆる歴史を通じて、あらゆる人間の文化に、泣く行為が存在する。何百万年にもわたって、考え得るあらゆる社会環境でこれほど根強く存在するものは、偶然生まれたものとは考えられない。
2018年に『Human Nature』に掲載された画期的なレビュー論文で明確化された、科学界で一般的な見解は、「人が泣く理由は、単一の原因に帰結しない」というものだ。泣くことは、重層的なコミュニケーションの仕組みであり、聴覚と視覚に訴えるだけでなく、同時に、化学的な変化が起きることが判明している(これについては、この後詳しく説明する)。
この論文の結論は、「感情的な涙は、悲しみを表現するために進化したわけではなく、周囲の人の行動を変えるために進化したものだ」というものだ。これは、直感には反するが、その正しさを裏付ける研究は増え続けている。
最初は「助けを求める叫び」だった
涙の進化の物語の発端にあるのは、悲しみではなく、飢えだった。あるいは、寒さや恐れだったかもしれない。具体的には、「泣く」という行為を始めたのは乳児だった。人間だけでなく、哺乳類を通じて、親から引き離された幼い子は、研究用語で言う「心痛の表出」を行なう。これは、親からの別離を拒む叫びで、その機能はただ一つ。子と保護者との距離を縮めることだった。
前述した、2018年に『Human Nature』に載ったレビュー論文では、人間の乳幼児の泣くという行為が、この哺乳類に伝わる設計図から直接進化したことを裏付けている。
泣くことは、緊急事態を伝えることを目的として、ピッチや強度を巧みに調整した、段階的な音によるシグナルだ。相手を心から必要としていることを示す指標として、非常に信頼に足るものだ。
このシグナルが機能するのは、乳幼児と保護者のあいだに、この叫びが本物であればどちらにとってもプラスになるという、進化上の一致した利害関係があるからだ。つまり、偽りのシグナルは無視され、心からの叫びであれば対応してもらえるということだ。
次に、人間社会の進化における非常に長い軌跡を通じて、このシグナルの及ぶ範囲が広がっていった。乳幼児だけでなく、大人も泣くようになった。さらに、涙に付随して、視覚に訴える要素が加わった。それは、頬を伝う涙の跡や、震える唇、落胆していることを示す前かがみの姿勢、といったものだ。こうした目に見えるシグナルが加わったことで、涙は、子どもがやみくもに泣くよりも、かなり高度な意思伝達手段になった。



