サイエンス

2026.05.09 18:00

なぜ人間は泣くのか、進化生物学者が解き明かす「涙」の真の目的

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「感情的な涙」の社会工学

大人が泣くと、それを目にした人たちにも、大きな変化が起きる。共感が増し、攻撃的な感情が収まり、その結果、人と人のあいだの絆が強まる。

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これは漠然とした印象論ではなく、科学的に記録された「涙の効果」だ。人が泣いているのを見た人たちは、前述の2018年の論文が「向社会的シグナル送出メカニズム」と呼ぶ機能を、涙が果たしていたと証言している。これは、「私は脅威ではありません。助けを必要としています。そのことをこうして示すほど、あなたを信用しています」というメッセージを、信頼に足る、捏造が難しい真摯な態度で、周囲に送る行為なのだ。

『米国科学アカデミー紀要(PNAS)』に掲載された別の画期的な研究で認められたように、人が泣いているのを見ている者の脳内では、自分が泣いている時と同じ領域が活性化する。人の共感能力を支えるミラーニューロン・ネットワークは、特に涙を見ることで活性化する仕様になっているようだ。

進化の歴史のどこかの時点で、涙は、それを見た他者から、共感や同情を自動的に引き出すようになった。個体間の協力によって生き延びてきたヒトという種にとって、涙と、目に見えるシグナルで、他者からの関心を確実に引き出し、争いを収め、団結を促す能力は、とてつもなく有利に働いた。

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一方で、この説については、より厳しい現実を示す見方もある。涙は、隷属を示すシグナルでもあるのだ。白旗や、手に何も持っていないことを示すために左右の手のひらを相手に見せる「降伏の仕草」と同様に、涙は、泣いている人物が攻撃を断念し、自分が弱い状態にあると認めたことを示すシグナルだ。

いずれにしろ、赤の他人や敵、あるいは恋人とのいさかいにおいて、この涙というシグナルは、言葉だけではなし得ない、その場の緊張を緩和させることができる。

進化の観点から見た理屈は明確だ。争っている時に、涙が示すシグナルを両者が正確に読み取れるのであれば、決着がつくまで戦う必要はなくなる。この意味合いで涙は、感情の表出であるのと同程度に、争いのエスカレーションを防ぐ社会工学と言える。

「感情的な涙」の生化学的特徴

涙をめぐる科学は、ここからぐっと不思議な展開を見せる。ここはまた、ダーウィンにも未解決だった謎が、ようやく解き明かされるポイントでもある。

『Science』誌に掲載された2011年の研究論文で、研究チームは、人間の感情的な涙に、明白な匂いはない「ケモシグナル(chemosignal)」が含まれていることを突き止めた。ケモシグナルは、匂いがあると意識はできないものの、嗅覚器官で検知可能な化学物質だ。こうした時の涙は、音波にたとえるなら、人間が受信できると意識していない周波数で、広くシグナルを送信していたことになる。

この発見は、2023年に『PLOS Biology』に掲載された研究論文で、さらに範囲が広げられ、大きな裏付けを得た。こちらの論文では、厳密な行動に関するパラダイムを用いて、男性の被験者が、感情的な涙を、それと知らずに嗅ぐと(知覚できるレベルの匂いはまったくなかった)、攻撃的な行動が43.7%減少することを確かめた。

次ページ > 生物学と文化的な文脈で異なる、涙の意味

翻訳=長谷睦/ガリレオ

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