教育

2026.05.07 13:30

若者のやんちゃ不足:川村雄介の飛耳長目

京極純一先生といえば、戦後を代表する政治学者である。先生の政治過程論は数ある名講義のなかでも白眉であった。「ちあきなおみの『喝采』にみる日本人の心象風景が政治過程に及ぼす影響」など、身を乗り出して聞き入った。そんな先生が学生の行動様式に言及したことがあった。世の中にはまだ学園紛争の残り火がくすぶる昭和47年だった。曰く「火炎瓶はアウトだが、ゲバ棒持ってデモに行くくらいなら元気でよろしい」。

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「ただ」と先生は付け加えた。「社会人になっても同じレベルのままでは失格。人間には成長が必要だ」。

当時の私たちが憧れていた明治期の旧制高校生を活写した作品が、坪内逍遥の『当世書生気質』である。身をもち崩して卒業できない学生が少なくなかったと記す。逍遥自身も落第を経験、根津遊郭の娼妓と添い遂げた。愛妻家だった。

大学当局は綱紀粛正、秩序管理強化に乗り出したが、学生たちの評判はすこぶる悪かった。特に寄宿舎での飲酒禁止に怒り心頭だったそうだ。学生たちが愛唱したデカンショ節には「酒は飲め飲め茶釜でわかせ、お神酒あがらぬ神はない」とある。規律強化の直後に、学生たちが卒業生送別会で泥酔、建物や器物損壊の乱暴に及び、100人以上が退学処分を受けた。ところがその2カ月後には全員復学し、彼らの多くが出世した。大学も太っ腹だったと言うべきか。

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明治期の学生たちとは比較しようもないが、私の高校時代にも現在では考えられないような猛者が何人もいた。ウマの合わない先生の授業はすべて代返で済ませ、本人は江の島海岸にいる、弁当は授業中に食べる、体育館裏で飲酒する、仕舞いには部室で火を焚いて失火してしまう。さすがに最後のケースでは、両親共々校長室に呼び出されてきつく注意されたが、「なんで火なんて焚いたの?」の問いには「寒かったから」と嘯く。それでも処分は3日間の謹慎だった。昨今なら一発退学だろう。派手に付き合っているカップル(当時は不純異性交遊という言葉が健在)を呼び出した強面の生徒指導の先生は、にこりともせず「18歳になるまではこれを使え」と避妊具をプレゼントした。

驚くのは、一見不良少年でしかない彼らは皆、勉学が優秀だったことである。全員、大企業幹部や医師、弁護士、大学教授になった。悪ガキたちはいつの間にか世間で評価される大人に成長したのだ。件のカップルは今や5人の孫に恵まれ、幸せそのものだ。

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