生成AIが世界の構造そのものを塗り替えつつあるなか、AI(人工知能)はもはやスクリーンの内側にとどまらず、現実の物理空間へと拡張しはじめている。その象徴が、製造業や物流をはじめ多様な産業で実装が進む「フィジカルAI」だ。
デロイト トーマツの芳賀圭吾と松川達也は、この領域こそが、日本が再び世界のフロントランナーへと躍り出るための“突破口”になると語る。両氏に、「フィジカルAI」を社会実装へと導くための核心を聞いた。
技術進化によってAIは物理世界へ拡張
――まず「フィジカルAI」の定義と、実社会での活用が注目される背景についてお教えください。
松川達也(以下、松川):「フィジカルAI」とは言葉通り、ロボットや工作機械、あるいはドローンなど、物理的な身体をもったAIを指します。これまでのAIはデジタル空間のなかで動作し、進化をしてきましたが、それが物理的な世界に広がりを見せています。カメラやセンサーという「五感」を通じて目の前の状況をリアルタイムで理解、自律的に判断し、それぞれのデバイスを通じてアクションを実行する。これがフィジカルAIの本質です。ロボットだけでなく、自動運転技術なども含まれており、現在、世界中の投資と優秀な人材が集まる領域となっています。
芳賀圭吾(以下、芳賀):その特徴は「自律性」にあります。これまでのロボットは、人間があらかじめ一挙手一投足を教え込むティーチングが前提で、その通りに動くこと、つまり「繰り返し精度」が重要視されていました。しかし、フィジカルAIは自律的に状況を判断し、目的達成のために自ら動きを決めます。
松川:この急激な進化を支えているのが、生成AIの技術的ブレイクスルーです。直近でも、膨大なデータを学習させることでAIの能力が飛躍的に向上するというLLM(大規模言語モデル)の根幹を成す法則「スケール則」が、フィジカルAIにおいても成立する、という考えが各所で出はじめています。つまり、人間が物を動かすような動作データを大量に与えることで、ロボットが「物を持てば上がる」「手を離せば落ちる」といった物理現象そのものを理解しはじめています。
さらに、テキストや映像、モーションデータを統合処理する「マルチモーダルAI」の発展により、人間が言葉で伝えた抽象的な指示を、ロボットが具体的な手足の動きへと変換できるようになったのです。技術は着実に次の段階へと進化しています。
芳賀:日本の製造業は今、空前絶後の労働人口不足に直面しています。工場だけでなく、建設、物流、そして国の戦略としても重要な造船、宇宙、防衛といった特殊な領域でも減少の一途をたどり、現場の危機感は極めて強い。この構造的課題に対する解決策として、フィジカルAIが期待されています。もはやフィジカルAIは「あればよいもの」ではなく、産業継続のためのプリレクイジット(前提条件)となりつつあるのです。
産業技術総合研究所のG-QuAT(量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター)のような拠点整備や、今年3月には政府が国家戦略として「AIロボティクス戦略」を打ち出すなど、フィジカルAIは日本の産業基盤を維持するための生存戦略とみなされています。
導入時に問われる経営者のパラダイムシフト
――フィジカルAIに大きな期待がかかるなかで、社会実装に向けてどのような課題があるのでしょうか?
芳賀:最大の問題は、日本の経営層に根強く残る短期的なROI(投資利益率)への固執です。従来の設備投資は「導入すれば生産性向上で2〜3年で回収できる」という計算が成り立ちました。しかし、フィジカルAIは単なる人の代替ではなく、生産プロセス全体をリデザインする取り組みです。初期段階ではデータの蓄積や検証にコストがかかりますが、これを既存の枠組みだけで捉えてしまうと「投資判断ができない」という袋小路に陥ってしまいます。
また、日本は「製造業が強い」と言われながら、実は経営の意思決定の中心に「製造そのもの」がないケースが意外と多いと感じています。他の機能とは異なり、日本にはCMO(チーフ・マニュファクチャリング・オフィサー)という役職がほとんど存在しないのです。
松川:技術的な面でも、「Sim-to-Real(シミュレーションとリアルの差)」という大きな壁があります。デジタル上のシミュレーションでは完璧に動いても、質量や摩擦、光の加減等が微妙に異なる現実世界ではロボットが思うように動かないという状況がよくあります。また、操作したい対象物の配置や作業環境の背景がシミュレーション環境と異なることもあります。この差を埋めるためには、シミュレーター上の環境をある程度ランダムに変化させて学習させることが不可欠となります。AIは学習を繰り返して成長するものであり、最初から100点満点を求めずに、AIを"育てる"というマインドセットをもてるかどうかが重要です。そういったAIの育成経験を積み上げることで、自社特有の環境で狙った通りの動作を実現することができるようになります。
また現在は、デジタル環境でAIを開発できる人材と、現場で機械を動かすことができる人材があまり融合していない状況にあります。フィジカルAIを扱うにはこれら両方のスキルが必要となりますので、双方の人材が互いに学び合い、協力できる状況を作れるようになれば、効果的なチームを組成することができます。
芳賀:人材は社会実装に向けての課題としても捉えるべきです。例えば、ドイツでは、インダストリー4.0の流れのなかで、従来からの職業人材育成制度「デュアルシステム」へデジタル製造の観点を取り入れ、中学・高校や職業訓練学校で組織的に「デジタルものづくり人材」を育成して成功を収めていますが、日本ではまだ個々の企業努力に依存しています。近年、日本でも高専の求人倍率が跳ね上がっていますが、これは産業界が物理とデジタルの交差点に立てる人材を渇望している証左でもあります。
また、ガバナンスや安全面の問題もあります。AIが物理世界でアクションを起こす以上、事故のリスクはゼロにはなりません。何かあった際の責任は誰が負うのか。既存のPL法(製造物責任法)の解釈なども、フィジカルAIが自律的に動く世界観に合わせて再定義する必要があります。安全性という「守り」を固めつつ、イノベーションを止めないための適切なルールづくりを社会や経営として構築できるか。単なる技術導入ではなく、社会の仕組み、業務のあり方そのものを変える覚悟が、今まさに問われています。
日本の手仕事が貴重なデータ資源となる
――生成AI領域において日本は後塵を拝したと喧伝されがちですが、フィジカルAI領域で日本は国際競争力を発揮できるのでしょうか?
松川:私は、AIモデルそのものの性能だけで日本が勝負を挑む必要はないと考えています。より勝機を見出すべきは、どういった領域でどのようなことを実現するかという「アプリケーション」のレイヤーです。日本には世界でも類を見ないほど、高品質な現場のノウハウが眠っています。熟練工が指先の感覚ひとつで部品の歪みを感じ取ったり、機械の音から不具合を予見したりする五感のノウハウ。これをいかにデジタル化し、フィジカルAIに組み込むか。この現場ノウハウの活用こそが、日本の勝機となるはずです。
芳賀:実際に、国の戦略としても、製造現場の機密データを安全に共有・蓄積するためのデータ基盤整備が進んでいます。これを産業界全体で共有資産として活用しつつ、経済安全保障の観点から守り抜いていかなければなりません。
日本がどこで生き残るかといえば、それはハードウェア単体ではありません。現場のノウハウをいかにデータ化し、それをある種のIP(知的財産)やプロパティとしてしっかりと握っていくことが重要です。AI先進国が強い汎用的なモデルを追うのではなく、造船や精密加工といった特定の環境下で最高レベルのパフォーマンスを出す領域にフォーカスし、日本発ならではのエコシステムを構築する。これこそが、日本が再びグローバルでの競争力を取り戻すための大きなチャンスになると考えています。
松川:物理的な環境側をロボットに合わせる「ロボット・フレンドリー」な発想も重要です。例えばあるスタートアップでは、日本の住環境に特化した天井走行型ロボットを開発していますが、同社はロボットを賢くするだけでなく、ロボットが活動しやすい家の設計まで見据えています。このように、制約条件の多い日本の現場を逆手に取ったデザインは、日本ならではの強みとして競争優位となり得るでしょう。
芳賀:そのためには、規制を恐れずに実験を繰り返せる「特区」の活用が急務です。AI先進国では自動運転の公道実験を通じて急速にデータを蓄積していったように、日本も一定の条件下で自由にトライできる場を広げ、先行する技術進化に合わせてルールを調整していく柔軟性が必要です。
経営者と共に10年後の未来を思い描く
――フィジカルAIの社会実装に向けて、デロイト トーマツが果たす役割とは?
芳賀:私たちの最大の強みは、マクロ(政策・戦略)とミクロ(現場・実装)を両輪で捉えることができる点です。フィジカルAIはひとつの企業や部門で完結できるほど簡単ではありません。戦略、業務、テクノロジー、リスク管理、法務、行政、といった各分野のスペシャリストが揃っているからこそ、国の政策と企業の現場プロジェクトを双方向につなぎ、複雑な合意形成をリードできる。これが総合系ファームである私たちの存在価値です。
松川:その象徴が、共創型AI体験施設「Deloitte Tohmatsu AI Experience Center」です。ここは単に最新ロボットを展示している場所ではありません。企業の意思決定層が実際にロボットに触れ、最新AIに触れながら、膝を突き合わせて「自社の10年後の姿」をデザインするワークショップの場です。技術の現在地を正しく理解し、そこから数年後のビジネスモデルを設計する。この手触り感のある構想策定を支援しています。
今後、フィジカルAIの技術は確実に進化し、量産効果によって製造コストも下がっていくでしょう。10年後には、フィジカルAIが当たり前のインフラになっているはずです。そういった世界観の中で自社はどのようになっていたいのか、今は静観するのか、それとも先行して感覚を身につけておくのか。未来を見据え、自社の土壌を今から耕しておく決断こそが、将来の競争力を決定づけるはずです。
芳賀:フィジカルAIはもはや手段ではなく、企業が生き残るための生命線として捉えなくてはなりません。ここで躊躇することは、蓄積してきた日本の競争優位性を手放すことに等しい。この領域で再び世界を驚かせるその日まで、私たちは経営者の意思決定に寄り添い、現場と共に歩み続けていきたいです。
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デロイト トーマツ Emerging Technologyの取り組み
はが・けいご◎デロイト トーマツ パートナー。重工業、産業機械、建機/農機製造業を中心に、20年以上にわたって製造業向けコンサルティングに従事。事業戦略、ビジネスモデル策定から、設計開発・営業・サプライチェーン・サービスのオペレーション変革実行に至るまで幅広く支援している。近年はデジタルを活用した事業構造変革に注力。スマートファクトリーイニシアチブのリードも務める。
まつかわ・たつや◎デロイト トーマツ シニアスペシャリストリード。AIおよびデータ活用を専門とし、幅広い業界向けのコンサルティングに従事。近年では生成AI・フィジカルAIのR&Dチームのリードも務める。



