労働者にとっても、経営者にとっても、それ以外の人々にとっても、私たちが新しい経済に入りつつあるという感覚は広く共有されている。それは、人工知能(AI)の力によって形作られ、左右される経済である。20年後、仕事はどのような姿になっているのだろうか。現在の仕事をより高度で個別対応型にしたものになるのか。それとも、「仕事」そのものが事実上、過去のものになるのだろうか。
多くの予想は、仕事はなくなり、少なくとも短期的には大規模な失業が起きると見ている。この1年、私がカンファレンスで講演を聞いた人々の中には、AIがもたらす変化に対応するため、ユニバーサル・ベーシックインカム(全国民への最低所得保障)が必要だと訴える人もいた。また、仕事が個人のアイデンティティに果たす役割と、それが今後どう変わるのかを論じる人もいる。AI時代には、すべての人間が自分専用のスマートツールを管理する「マネージャー」になるという見方もある。
しかし、この問題を見る別の視点もある。出発点になるのは、人間の労働は他の商品とは違い、完全に同質で置き換えられるものではないという考え方である。
人間の労働はAIに代替されるか、グーグル・ディープマインドのエンジニアによる分析
「電信と馬の例は、完全な代替が起きた明確なケースだ」と、グーグル・ディープマインドの主任エンジニアであるセブ・クリアは1月、Substackに書いている。
「それらは、必ずしも別の役割に適応できるわけでもない。馬の比喩が成り立たないのは、労働を単なる出力として扱っているからだ。そこでは、複雑で足し算を超える組織をつくるという、人間に固有の能力が見落とされている。
1000頭の馬を組み合わせても『超馬』は作れない。しかし1000人の人間を組み合わせれば、企業、政府、あるいは哲学を作ることができる。人間の有用性は、馬の筋力とは違い、単純な足し算を超えるものなのだ」。
クリアは、この考え方をAIに次のように当てはめている。
「『AIが人間にできることを何でも安くできる』ということは、完全な代替を意味しない。そうなる可能性はあるものの、必ずそうなるわけではない。それを示すには、さらに検証が必要だ。
代替可能性、つまりある投入要素を技術的に置き換えられるかどうかと、実際の代替、つまり投入要素の選択として現れる経済的な結果とは区別する必要がある。ある投入要素を置き換えられるからといって、生産における最適な組み合わせが必ずその選択に行き着くとは限らないのだ」。
これは根本的な問いにつながる。市場が、ある一連の仕事について人間を使うか機械を使うかを選べるとき、その判断はどのようになされるのかという問いだ。



