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2026.04.30 14:15

社会イノベーションの最先端の教養 第三回 なぜ、リーダーにトラウマの視点が必要なのか

Arthur Constantine - stock.adobe.com

「トラウマインフォームドな組織」とは何か

このことを考えるうえで、いま注目されているのが、トラウマインフォームドという考え方です。簡単に言えば、「人にはそれぞれ見えない履歴があり、その履歴が現在の反応や行動に影響している」と理解したうえで、制度や組織や場を設計する、という視点です。

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ここで大事なのは、トラウマインフォームドな組織とは、単に「やさしい組織」を意味するのではない、ということです。緊張感をなくすことでも、甘やかすことでもありません。むしろ逆で、人が防衛的になりやすい局面を理解したうえで、不必要な再傷つけを減らし、本来の力が発揮されやすい環境をつくるという、きわめて実務的な考え方です。

急な方針転換がなぜ一部のメンバーに強い不安を引き起こすのか。なぜ不祥事のあと、過剰な統制と萎縮が同時に広がるのか。なぜ「もっと率直に話してほしい」と言うほど、現場がかえって黙るのか。こうした現象を、意欲や能力の問題だけで説明すると見誤ります。その背後には、個人の経験だけでなく、組織の歴史や過去の失敗体験、業界全体の常識が関わっているかもしれないからです。

企業に引き寄せれば、これは評価制度、1on1、会議設計、オンボーディング、危機対応、組織再編時のコミュニケーションなど、さまざまな場面に関わってきます。トラウマインフォームドな視点は、福祉や医療の現場だけのものではなく、複雑な変化を扱うすべての組織にとって示唆を持っているのです。

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「集合的トラウマ」という視点

ここで、もう一つ大きな論点が出てきます。それが、集合的トラウマです。

トラウマというと、個人の経験として捉えられがちです。しかし実際には、それは個人の人生だけで完結せず、人から人へ、時を超えて受け渡されていくことがあります。戦争や災害、差別、公害のような大きな歴史的経験は、社会や共同体の記憶として長く残ります。そして、それが人々の不安、沈黙、分断、防衛的な反応として現在にも影響を与え続けることがあります。

この視点は、日本のビジネス読者にとっても無縁ではないはずです。企業の世界でも、大規模リストラ、不祥事、ハラスメントの放置、買収後の混乱、過度な成果主義、長時間労働の常態化などが、組織の記憶として残り続けることがあります。制度を変えても、人の反応だけはなかなか変わらない。新しい方針を打ち出しても、現場が過剰に警戒する。そうしたことは珍しくありません。つまり、組織にもまた「履歴」があるのです。

過去に解決されず、癒やされないまま残されたものが、今日の「行き詰まり」を生み出している。そう見ると、いま組織の中で起きていることの意味が、少し違って見えてきます。

このテーマが面白いのは、ソーシャルセクターで蓄積されてきた知見が、そのままビジネスにも示唆を与える点です。社会課題の現場では昔から、傷ついた人、分断されたコミュニティ、疲弊した支援者、壊れかけた制度と向き合ってきました。つまり、人が傷ついた状態にあっても、なお協働しなければならない現場を長く経験してきたわけです。

だからこそ、そこから生まれた知見は、人的資本経営、ウェルビーイング、DEI、危機管理、組織変革、サステナビリティ経営にもつながります。トラウマインフォームドな視点は、福祉専門職だけのものではなく、複雑な時代における経営の基礎教養になりつつあるのではないでしょうか。

次ページ > トラウマの理解は、組織文化そのものの問い直しにつながる

文=井川 定一(スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー・ジャパン副編集長)

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