経済・社会

2026.04.29 14:15

ハンガリー総選挙で野党が圧勝してウクライナ融資にEU加盟27カ国が合意

ハンガリー国会議事堂(高橋 清孝 - stock.adobe.com)

オルバン首相はドナルド・トランプ米大統領の盟友としても知られる。選挙前にはJ・D・バンス副大統領がハンガリーを訪問。「ブリュッセルの官僚」を激しく非難し、オルバン氏支持を鮮明にした。今回のオルバン氏の退場は米政権にも大きな痛手だろう。

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一方、EU各国の首脳らは、今回のハンガリーの選挙結果を次々と歓迎。

ポーランドのドナルド・トゥスク首相は「ハンガリー、ポーランド、欧州、再び一緒になった。すばらしい勝利だ。親愛なる友よ」と英語でXに投稿。最後にハンガリー語で「ロシア人は帰れ」と付け加えた。

この言葉は1956年、当時のソ連軍によって弾圧されたハンガリーの自由化を求めた運動の「ハンガリー動乱」のスローガンだった。
 
フランスのAPF通信は、欧州委員会のステファン・セジュルネ副委員長が、「ハンガリー国民は欧州人が本質的にどのような存在であるかを世界に示した。海外からの操作に屈しない、自由で啓蒙された市民であるということ」などと述べたことを報じた。

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「鉄のカーテン」を崩壊させた「ピクニック」

ハンガリーは1989年のベルリンの壁崩壊のきっかけをつくった国だ。旧東欧諸国のなかでは、当時、民主化改革で先行。ネーメト・ミクローシュ同国首相(当時)は前年の1988年、国民に旅行の自由を認めていた。

1989年5月にはオーストリアとの国境にあった高圧電流の流れる鉄条網を一時的に撤去している。
 
それを受け、旧東ドイツの国民の間には「ハンガリーとオーストリアの国境は緩い」といううわさが広がり、同年8月には数万人が休暇を利用し、東側陣営だった隣国のチェコスロバキア(当時)経由でハンガリーへ移動。オーストリア国境近くの湖周辺のキャンプ場などに滞在していたとされる
 
そして、同時期にオーストリアとの国境の町であるショプロンを舞台に進行していたのが、いまも広く語り継がれる「汎ヨーロッパピクニック」という計画だ。

この地でハンガリーの反体制派とオーストリアの政治家らが政治フォーラムを挙行。ドイツ語とハンガリー語で書かれた「ピクニック」への「招待状」のビラなどで開催を知った旧東ドイツの国民らも足を運んだ。
 
ハンガリーとオーストリア両国の主催者がピクニックを共にするのにあたって、国境は一時的に開放された。ところが、国境検問所には700人近い旧東ドイツ国民が押しかけた。

これに対して、ハンガリーの国境警備隊は「彼らに背を向け、オーストリアからのピクニック参加者の身分証明書をチェックする作業に集中した」(ドイツの国際放送『ドイチェ・ヴェレ』のサイト)。旧東ドイツの国民は国境を駆け抜け、旧西側の地へたどり着いたのだ。
 
東ドイツ政府はハンガリーの対応に激怒してチェコスロバキアとの国境を閉鎖したが、民主化を求める国民の声は大きなうねりとなって全国に広がった。大規模な集会が相次いで行われ、同年11月に東西を隔てていた「鉄のカーテン」が崩落したのだ。
 
東西冷戦の終結で大きな役割を演じたハンガリー。筆者があるラジオ番組で、このピクニックについて話したところ、リスナーの方から「今度はハンガリーがロシアのウクライナからの撤退の立役者になってほしい」というメッセージをいただいた。至極同感である。

文=松崎泰弘

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